【きちルポ】サッカー”と”生き続ける日々。メモリアルディにこれまでの僕を振り返り、これからの僕を思った
▼ 僕的メモリアルディ
12月に入り、少し疲れが出たのか、数日風邪で休んでいました。常に万全な体調管理ができていたらいうことないですが、どれだけ気を付けていても、毎日のスケジュールだって違えば、その日ごとに積もるストレスや負担もまた違うわけで、いつも通りにしていたらいつも通り万全というわけではないのが難しいところですね。
先週は1週間で2度夜行列車で取材先から戻るという強行スケジュールをいれたのもよくなかったのかも。やってやれなくはないけど、とはいえ47歳の身体にはそれなりの負担だったようです。元気なつもりではいるし、アクティブに動いていたいし、それができるだけの体力もモチベーションもあるとは思うけど、とはいえ無理はやはり禁物。あとちょっとの見定めをこれまで以上に気を受けていきたいところです。
そんな僕にとって2024年12月5日はメモリアルディとなりました。
さて何の日でしょう?
世の中には様々なアニバーサリーがありますけど、その中ではかなりマイノリティな枠に入るものです。といってもわかりませんよね。
実は僕がドイツに渡るまで日本で暮らしていた日数とドイツに渡ってから暮らしてきた日数が一緒になった日なんです。
簡単に言えば日本歴にドイツ歴が並んだんですね。
一浪して大学に入学した僕が卒業してドイツに渡った2021年4月1日まで23年8カ月4日間が日本滞在歴。
その日から23年8カ月と4日たったのが2024年12月5日なんです。(多分あってます)
よく日本でもドイツでも、「キチはもう半分ドイツ人だな」とか冗談で言われますけど、滞在日数的にこれで本当にハーフとなったわけですね。そしてこれからはドイツでの日数がしばらくは増え続けていくというわけです。
じゃあそれこそ、僕は日本人からどんどんドイツ人へとなっていくのかというとそんなわけはないでしょう(笑)
ドイツ語は相当うまく話せるし、ドイツにおける習慣や常識、思考パターンだってさすがにだいぶ深いところで理解してきてはいます。感覚的なところでドイツでの生活習慣が僕の判断の基盤となるところだってありますし、でもそのさらにベースのところでは日本での生活習慣が基盤となっているところも多々あるわけです。相手の立場に立って考えるとか、相手が今やってほしいことを率先してするとか、相手が今やってほしくはないことを察してあげるみたいなところは日本社会の中で培われたものであるし、テーマに沿って積極的にディスカッションを積み重ねて、解決策を探ろうというコミュニケーションのところはドイツ社会の中で育まれたものだと感じています。
どちらがいいとか、どちらの比率が高いとかではなく、物事を本質的に捉えたときに基準とすべき考えはどうあるべきか、どのようなアプローチが最適なのかというところを大切に捉え、そのための手段や理論を最適化して、論理的な思考を感情的なエネルギーとのバランスの中で整理して、ポジティブに進んでいけるように調整していくことが大事であって、日本的感覚とドイツ的感覚とそれ以外の感覚はそのための選択肢として僕の中で積み重なっているのだというふうに解釈しています。
敬意をもって誰にでも接するけど、間違っていたり、逸脱したことには誰に対しても指摘ができる人でありたいし、どれだけ目上の人であってもその人の本音が聞けるようにダイレクトなアプローチができる人でありたい。古きよきものは継承し、今を大切に歩み、革新的な取り組みにはいつだってチャレンジしていきたい。
どれだけ長く日本にいようと、どれだけ長くドイツにいようと、僕は僕。中野吉之伴もなかのきちのすけもKICHINOSUKE NAKANOもすべてが僕の側面であり、どの僕にも様々な関わり合いの中で育まれ、熟成され、培われたものがあるはずです。それはこれまでも、今も、そしてこれからも変わらない。
そんなメモリアルディにこれまでの足取りをほんのちょっと振り返ってみたいと思います。