【現地取材】選手と指導者とスタッフとファンが作り上げる極上の雰囲気。フランクフルトがヨーロッパで躍動する理由とは?
▼ チームの定義とはどこまで広げられる?
サッカーはチームスポーツだ。一人ではできないことでもみんなで助け合い、短所を補い合い、支え合うことで、チームとして目標を成し遂げる可能性をどこまでも高めることができる。
リバープール監督ユルゲン・クロップが自身が出ている保険会社系のCMで、「一人ではできないことでも、支えられていると確かに実感することができれば、自分の力をこれまで以上に発揮することができるものだ」というセリフがあるが、まさにそういうことではないかと思うのだ。
そして、この《チーム》という存在はとても広義だ。解釈次第でいくらでも広げることも狭めることもできる。ただ、狭ければ狭いほどそのアプローチはシンプルになるかもしれないが、そこから生み出されるパワーの総量には限界がある。逆に広げれば広げるほど共通のつながりを持つのが難しくなるし、力を合わづらくなる。
でも、もしサッカーというスポーツにおいて《チーム》という定義を、ピッチに立っている11人だけではなく、控えメンバーを入れた登録メンバーだけではなく、コーチングスタッフを含めるだけではなく、クラブに関わるスタッフを加味するだけではなく、スタジアムに集うファン全てさえをも《チーム》としてとらえて機能させることが可能なのだとしたら、そこから生み出される力は果てしなく大きなものになる。
これは果たして夢物語だろうか。
いや、サッカーというスポーツではそれさえも可能なのではないかと思うのだ。《スタジアムには魔物が棲む》とさえも、《スタジアムにサッカーの神が降臨する》とさえも言われるゆえんは、そこで生み出されるパワーが、常人には理解できないほど巨大なものになることもあるからではないだろうか。
ポジティブな方向にも、ネガティブな方向にも。
長谷部誠と鎌田大地が所属するフランクフルトがたどり着いたCL決勝トーナメント。イタリアの強豪ナポリと対戦した1回戦ファーストレグの取材で訪れたドイチュバンクアレーナで、僕はその巨大なパワーのうねりを少なからず感じたのだ。
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