中野吉之伴フッスバルラボ

子どもと向き合わないとわからない本質に気づけたあの日。知識よりも理論よりも大切なもの

 日本に帰国中、多くの若い指導者と話をする機会がある。

・指導現場をどう探せばいいのか。
・どのように将来像を描けばいいのか。
・指導者にとって必要なことは何だろうか。

彼らの質問に対して、自分の経験と知識をもとに答えや考え方を伝えている。若い指導者、あるいは指導者を始めたばかりの人たちが悩みを抱えているのは普通だ。私も最初から順風満帆だったわけではない。誰かが作った道をたどったわけでもなければ、うまくいく確信があったわけでもない。ただただ必死だったし、余裕もなかった。自分がしていることに自信がないわけではないけど、それで大丈夫かどうかはまったくわからない時期はかなりあった。いまのように情報がすぐ手に入る時代でもない。それでも自分なりに現状を整理して、解決策を見出して、次のステップへと踏み出した。そこで、私がドイツに来て最初に指導者として活動していた頃の話をしたい。

16年ほど前の20代前半の話だ。

C級ライセンス講習会で同期だったユルゲンに誘われてSCバーリンゲンというクラブで指導者デビューをすることになった。トップチームは4部(現在5部)に所属。この地方ではSCフライブルクに次いで2番目に高いリーグでプレーしているクラブなのだが、当時の私はそんなことも知らなかった。担当になったのはCユース(U15)のセカンドチーム(C2)。週2回の練習の予定だったが、参加者が少ないために週1になってしまった。そこで、私はC2の監督をメインとしながら、ファーストチームであるC1の練習にもできるだけ顔を出していた。

C2の子どもは、正直そこまで本腰を入れてサッカーをしているわけではない。趣味として、楽しみとしてサッカーをしている。それが悪いわけではないし、本人たちは楽しんでサッカーをしている。だから、何人練習に来るかはその日にならないとわからない。多くて10人、少ないと1人。私とその子と2人でパス練習だけの日もあった。練習には来ず、試合のときしか来ない子どもたちもいる。趣味として、楽しみとしてサッカーをしたい子がいて、それができる環境があるというのはすばらしいことだ。

ただ、せっかくドイツに来て、せっかくC級ライセンスを取ったのに、ほとんど練習でそれを生かせず、ミニゲーム中心でとなるとどこか物寂しさも、物足りなさもあった。

サポートで参加しているC1では、ユルゲンが練習メニューを決めて指揮する。時折、私にも指揮を執るチャンスがあったとき、「ここぞ」とばかりに張り切って練習メニューを考え、おもしろい練習をしようとした。でも、練習メニューをかみ砕いて伝えて、サッカーの話を盛り込もうとするにはドイツ語が全然ダメ。あと、普段ドイツの子どもたちがしている慣れ親しんだ練習をわからずに、ただ自分の色を出すことに四苦八苦した結果、なんだか微妙な練習ばかりになっていた。

自信はあったのに…。

子どもが好きだし、自分のコーチとしての技術、知識、考え方、それにドイツ語にしても、パーフェクトではないけれど、そこそこはやっていけるくらいには思っていた。でも、思っていた以上にうまくいかないことばかり。焦りは自分の力量も見誤らせる。実力以上のことをしようとして、いつも自滅していた。

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