中野吉之伴フッスバルラボ

私たちの目標はしっかりと地域に根差し、アイデンティティを継承していけるクラブ。

ドイツで15年以上サッカー指導者として、またジャーナリストとして活動する中野吉之伴。18年2月まで指導していた「SGアウゲン・バイラータール」を解任され、新たな指導先をどこにしようかと考えていた矢先、白羽の矢を向けてきたのは息子が所属する「SVホッホドルフ」だった。さらに古巣フライブルガーFCからもオファーがある。

最終的に、2018〜19シーズンは2つのクラブで異なるカテゴリーの指導を行うことを決めた。この「指導者・中野吉之伴の挑戦」は自身を通じて、子どもたちの成長をリアルに描くドキュメンタリー企画だ。日本のサッカー関係者に、ドイツで繰り広げられている「指導者と選手の格闘」をぜひ届けたい。

▼ 指導者・中野吉之伴の挑戦 第十六回

昨シーズン、フライブルガーFCは多くの成功を収めた。

6部リーグに所属していたトップチームは2位でシーズンをフィニッシュ。5部への入れ替え戦出場の権利を手にした。ここ3年間、あと一歩で昇格を逃していただけに、クラブとして「今度こそ」という思いはとても強い。それはファンも同じだ。ここぞのときに支えとなるのは、周囲からの熱い声援なのはプロもアマも変わらない。数ではなく、たとえ少なくても心からの応援が選手の力になる。昇格戦のホームには、実に2000人以上のファンが訪れた。その中には多くの年配ファンの姿も確認できた。クラブグッズを身にまとい、ジッとグラウンドに視線を向け、ゴールの瞬間には周りのファンと抱き合って喜ぶ。彼らはクラブとともに生きている。

1980年代には、ブンデスリーガ2部に所属していたクラブだった。フライブルクで最初のサッカークラブで、ナンバーワンのクラブだった。1906年にはドイツ王者にもなっている。代表監督のヨアヒム・レーフやフライブルクの監督クリスティアン・シュトライヒもこのクラブ出身だ。それが誇りであり、だけどそのために驕りにもなってしまった。躓きを修正できずに、転落しても歯止めをかけることができない。「そんなはずはない」と現実から目を背けてしまい、一時期は過去の栄光を語ることしかできない立ち位置にもいた。

そんな受難の時代にも熱心なファンはクラブを見捨てず、いつでもそばでサポートしてくれていた。

3部へ降格した時期も、その後経営が悪化してホームスタジアムを売却しなければならなくなった時期も、フライブルクの他クラブからグラウンドをレンタルさせてもらいながらジプシーのように転々としていた時期も、クラブの方針が定まらずに内紛が沸き起こっていた時期も、ずっとクラブを応援して、叱咤激励をして支えてくれていた。彼らがいなければ、間違いなくクラブはもっとひどい状況になっていただろう。

スタッフにもそうしたレジェンドがたくさんいる。

2部リーグ所属時代からクラブのメディア関係を一人で切り盛りしてきた人、育成部長として30年間クラブの土台を支えてきた人、用具係としていつもトップチームに帯同している人。みんな、無償でクラブのために尽力してきた。スタッフにとっても、ファンにとってもこのクラブが彼らにとっての居場所であり、情熱の源であり、人生における一つの意味でもあるからだ。

だから、と思うのだ。

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