【Jリーグジャッジリプレイ批評】家本政明氏の解説は素晴らしい試みなので、番組名を変更し、判定の〇×のみに特化しない構成にしてみては?
「情報をできるだけタイムリーに伝える。いま『ジャッジリプレイ』では「映像でみれば、ファウルではなかったよね」と語られていますが、「なんでレフェリーはそういう判断をしてしまったんだろう」と。その結果には原因があるはずなんです。ポジション的な問題なのか競技規則の理解の問題なのかがあります。それが語られていく事によって「レフェリーってそういうことを思ってたんだ!感じてたんだ!」っていう理解があれば信頼関係に繋がっていく。フットボールを見る喜びも高くなると思っています」。
■家本政明氏の解説をレフェリーと視聴者の橋渡しにするには
先日の編集部との打ち合わせ前の雑談で、「前回のジャッジリプレイ炎上しちゃいましたね」と投げかけられた。そこで話したことを記したい。
確かに放送後、思わぬ方向に議論が行ってしまっていた。
いくつか要因はあると思っているのだが、一つは『Jリーグジャッジリプレイ』という番組名に引っ張られている部分があると思っている。
岩政大樹氏が日本はもっと言葉を大事にすべきだというようなニュアンスのことを解説されていたが、私も同意である。岩政氏の「パストゥー」は面白いと思ったし、私自身はフットボールでは「審判」ではなく「レフェリー」を徹底して使っていこうと決めた。
話を戻して、『ジャッジリプレイ』だが、『Jリーグ』という冠がついた公式番組ということで、どうしても判定の〇×、正解発表のように受け取られてしまっている。
本来は「色々な人たちが(競技規則を元に)語れるのは、ジャッジが身近になるので有難い」といったような、監督や選手でいう『やべっちスタジアム』のような番組で良いと思うのだが、『Jリーグ』という冠が。さらには事象を語った後のMCからの「では、この判定は・・・ということで宜しいでしょうか?」というコメントもあり、視聴者に判定には白か黒しかない印象を与えてしまう。
「フットボールって、そういうものじゃなくて、凄くアバウトで抽象的で人間らしさを大切にしている競技だと思っているので、それを○×だけにされちゃうと苦しいですよね。
へんな話、○×の二種類ではなくて点数だったらいいのになとか。中正解とか、70%は不正解とか、そういう表現の方が(審判を語るのは)楽しいのかなって」
と家本政明氏が語っていたように、「フットボールの競技規則は精神の中で、全てを白黒にする必要はないとうたわれている」。
前回のFUJIFILMSUPERCUPでの振り返りでは、家本氏は冒頭の点を強調していた。
しかし、それが判定の○×に重きを置く視聴者の怒りをかった。
そして、今回のガンバ大阪×鹿島アントラーズ戦では判定の○×に時間を割き、その後でレフェリーの難しさも付け加えた。
だが、判定にはファウルをした選手とされた選手がおり、個人的見解であっても、どちらかの支持者には判定への不満が残る。
無料:なぜ同じシーンなのに人によって判定ジャッジが分かれるの?なぜブーイングするの?行動経済学から考えるファンサポーター・観客・視聴者の心理【石井紘人コラム】
さらにいえば、家本氏には家本氏の基準があり、JFAと見解が異なることも出てくるだろう。それは当然なのだが、現在の視聴者の意見を見ていると、判定に対する多様性は受け入れられていないように感じる。
であれば、競技規則へのリテラシーを高めるためにも、よりライトな番組構成にし、公式見解ではない雰囲気を出す必要がある。私のサイトに「石井紘人の」と入れているのは、客観的に見ようとしても、どうしても主観は入ってしまう。あくまでも私のサイトと認識できるように、自身の名前をサイト名にした。『Jリーグジャッジリプレイ』でいえば、たとえば『DAZNレフェリースタジアム』のような冠名と構成を少し変えるだけで、よりよい番組が制作できると思う。
(残り 1099文字/全文: 2791文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ