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「ドロちゃんに会えなくなったのは寂しいけれど」 マスコットに救われた話 まどり(浦和レッズサポーター)

 月イチ連載の「マスコットに救われた話」。タイトルそのままに、マスコットが大好きな方々に、毎回「マスコットに救われた話」について語っていただく。

 今回ご登場いただくのは、浦和レッズのサポーターで東京ドロンパ推しのまどりさん。「レッズサポなのにFC東京のマスコットを推しているって、どういうこと?」と思われるかもしれない。サポートクラブとマスコットの推しが一致しない、というのは意外とある話。ただし、まどりさんの場合、事情がやや複雑だ。

 実はまどりさん、もともとはFC東京サポーターだったのが、浦和サポーターに「宗旨替え」した経緯がある。「改宗」そのものが珍しい話だが、その理由と経緯も極めてレア。それでも、ドロンパへの愛は不変だったという。さっそく、起伏に富んだ彼女のストーリーに耳を傾けてみよう。(取材日:20241025日=オンラインにて収録)

【編集部より】当連載は随時インタビュイーを募集中。XでのDM、もしくはメールにて、以下の情報をお送りください。

・メールでの件名「マスコットに救われた話」

・お名前(ハンドルネーム可)

・連絡先(メールアドレス、LINEなど)

・お仕事

・推しマスコット

・どのように「救われた」のか(簡単に)

infotetewm@targma.jp までお願いします。

これまで登場したマスコット(ファジ丸、ゼルビー、ドーレくん、ヴァンくん&フォーレちゃん、ヴィヴィくん、ガンズくん、しかお、東京ドロンパ)以外のマスコット推しの方が採用される可能性が高いです。なお、自薦・他薦を問いません。

サポートクラブをFC東京から浦和レッズに変えた理由

 WEリーグのマスコット、ウィーナっているじゃないですか。実は私、ウィーナの名付け親なんですよ。といっても、最後の4候補のひとつが「ウィーナ」で、他にも同じ名前で応募した人がいたと思うんです。それでも、自分が考えた名前に決まって嬉しかったですね。今ではウィーナを見るたびに、何だか母になったような気分です(笑)。

 浦和って、マスコットに積極的でないイメージがあるじゃないですか。でもサポーターの中には、ガチなマスコット好きもいるんですよ。レディースの試合で、レディアのファミリーに会えることを楽しみにしている人も知っています。浦和サポの私がマスコット好きを表明しているのは、そういった人たちが堂々と主張できるようになったらいいな、という思いもあります。

 FC東京のサポーターだった私が、なぜ禁断の「宗旨替え」をしたかというと、塩田(仁史)選手が移籍したから。初めて塩田選手を意識したのは、FC東京時代の2013年に天皇杯準決勝を観た時でした。PK戦の末にサンフレッチェ広島に敗れて、号泣している姿を見ているうちに「この選手をずっと応援する!」と心に誓ったんです。

 塩田選手は2015年に大宮アルディージャ、20年に栃木SCに完全移籍しました。大宮はJ1の年もありましたけど(201617年)、その時は自分が移籍することは考えなかったです。でも2021年、40歳の年に浦和に移籍すると知って「これは最後のチャレンジなんだな」と。そう直感したら、私も兼任サポのままじゃ駄目だと思って、そこで覚悟を決めました。

FC東京を知るきっかけは高橋秀人と長谷川アーリアジャスール

 出身は埼玉です。高校時代は学校帰りに、埼スタで代表戦を観に行く感じでしたね。今となっては本当に申し訳ないんですけど、当時は「埼スタは代表戦のためのスタジアム」という認識で、浦和レッズもJリーグも関心はほとんどなかったです。小野伸二選手のユニを着て代表戦に行っていましたけど、浦和時代のことはほとんど知らなかったですね。

 そんな私が、なぜFC東京に出会ったかというと、高橋秀人選手と長谷川アーリアジャスール選手の代表入りがきっかけでした。実は私、L’ArcenCiel(ラルク・アン・シエル)が大好きで「あ、hyde(秀人=hydeの本名)じゃん」って反応したんです(笑)。あとアーリア選手は、隣の中学のサッカー部出身で1学年下だったんですね。で、ふたりとも当時、FC東京に所属していることを知りました。

 味スタに初めて行ったのは、2013年のホーム開幕戦。ドロンパと出会ったのは、8月くらいでした。あれだけキレのある踊りができるマスコットがいることに驚きましたね。それまでのマスコットのイメージって、子供たちに手を振ったり、一緒に写真を撮らせてあげたり、みたいなものでした。そんな概念を見事にぶち壊す、一筋縄でいかない存在がドロンパだったんです。

 もっとも、ドロちゃんとの距離を詰めていくのは時間がかかりました。ツーショット写真を撮らせてもらったのが、その年の11月。「一緒に写真、いい?」と聞いたらサムアップしてくれました。次の年(2014年)には、どの時間帯にどこへ行けばドロンパに会えるのかを把握しました。ただ、きちんとコミュニケーションできるようになったのは、もう少しあとでしたね。

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