もしも「サッカー」じゃない人生があったなら 第03回:1994年のダイヤモンドサッカー
■あらためて考えるテレビ東京の功績
「今、何か撮っていましたよね? 何ですか?」
驚いて振り返る。この年齢になると、見知らぬ人から詰問口調で声をかけられることが、滅多になくなっていたからだ。そこにいたのは、私よりもずっと年若の警備員。私が自撮り撮影しようとしたところを見咎めたのである。畳み掛けるように、こう言う。
「困りますね。ここはTV局の敷地内ですから、撮影するんだったら許可がいるんですよ。もらってないでしょ? 許可」
ちょっと自撮りするくらい、と思っていたのだが見込み違いだったようだ。ここで問題化するのは得策ではないので、すごすごと退散することにする。結局、連載企画のための自撮り撮影は、断念することにした。私が撮影しようとしたのは、東京·虎ノ門にあるテレビ東京の神谷町スタジオ。今から30年前、私は毎週日曜日、ここに通っていたのである。
テレビ東京は、東京五輪が開催された1964年に開局。当初は「科学テレビ 東京12チャンネルテレビ」といった。その後「東京12チャンネル」、さらに現在の「テレビ東京」となったのが1981年。その間に所在地も、芝公園から虎ノ門を経て、現在の六本木に落ち着いたのは2016年のことだ。
在京キー局で最後発だったテレ東(当時は東京12チャンネル)にとり、他局との差別化こそが生き残りのための唯一の道であった。その傾向は、とりわけスポーツ中継において顕著。1960年代後半から70年代にかけて、それまでニッチな競技でしかなかったキックボクシングやローラーゲームが、一気にブレイクしたのもテレ東の功績である。
そして何といっても忘れてならないのが、1968年4月からオンエア開始となった「三菱ダイヤモンドサッカー」。当時、わが国は空前のサッカーブームに沸いていたが、海外(それも本場ヨーロッパ)の試合映像が日本で視聴できる。BSもCSもなかった当時としては、実に画期的なプログラムであった。
■「情報バラエティ番組」としてのダイヤモンドサッカー
「君はダイヤモンド(サッカー)班だ。よろしく頼むよ」
エンジンネットワーク入社後、社長からそう言われた。当時のエンジンネットワークの仕事は、サッカー、ゴルフ、音楽が3本柱。それぞれが班体制となっていて、サッカーの中でもTV番組制作とビデオ制作という2系統があった。私が配属されたのは、サッカー班のTV番組制作ということで、ダイヤモンドサッカーの担当となった。
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