宇都宮徹壱ウェブマガジン

「2002年の記憶を求める旅」に出た理由 「20周年企画」で注目したいメディアの姿勢

 何ということだろう、あれからもう20年が経過したとは!

 本稿を執筆している5月31日は、2002年ワールドカップ日韓大会の開幕からちょうど20年に当たる。ソウル・ワールドカップスタジアムで開催されたオープニングマッチは、前回優勝国のフランスと初出場のセネガルによる一戦。セネガルが10でフランスに勝利するという、波乱の幕開けでこの大会はスタートした。

 Facebookでは、ちょうど4年前のロシアや8年前のブラジルの投稿が蘇ることがあるが、2002年当時はmixiもブログもなかった。スマートフォンが登場するのは、それから5年後のこと。当時使用していたガラケーで撮影したデータは、とっくの昔に消失してしまった。ついでに言えば、大会中にスポーツナビ(旧)で毎日連載していたコラムも、今は閲覧することが叶わない(私の手元にもデータは残っていない)。

 フットボールに限らず、どんな情報でもネット上の動画やテキストで確認できる現代。ところが20年前に書かれた情報というものは、意外とネットには残っていない。2002年当時はすでにインターネットが普及し始めていたし、この日韓大会では初めてネットメディアにアクレディテーションパスが出ているが、さりとてインターネット全盛期でもない。そんな、微妙な時代だったのである。

 2002年といえば、まだまだ新聞や雑誌をはじめとする紙メディアが健在。海のものとも山のものともつかぬネットメディアは、取材現場におけるヒエラルキーの底辺に位置していた。一方でユーザー目線で言えば、掲示板文化は盛り上がっていたものの、パーソナルな発信にはまだまだ限界があった。個人で運営されているサッカー系HPもいくつかあったが、そのほとんどは2005年以降の「Web2.0」の波に押し流されてしまい、今は痕跡さえ見つけるのは困難だ。

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