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書評家つじーの「サッカーファンのための読書案内」第4回 中川右介・著『怖いクラシック』(NHK出版)

 宇都宮徹壱ウェブマガジン読者の皆様、こんにちは!つじーです。『書評家つじーの「サッカーファンのための読書案内」』、第4回になります。

 「ウクライナ」をテーマにした第3回の書評はいかがでしたでしょうか。先月行われたU-23ウクライナ代表戦のちょっとした予習に活用していただけていれば幸いです。まだ未読の方もぜひ『中学生から知りたいウクライナのこと』を手に取ってみてください。

 さて、今回の選書テーマは「クラシック音楽」です。それではお楽しみください!

神から『レクイエム』をもぎ取ったヴェルディ

 音楽は時代ごとに社会と密接に関わっている。今も昔もその時代で聞かれる曲は社会の鏡のように扱われるのだ。

 本書は8つの「恐怖」と闘って名曲を作り上げた音楽家たちを取り上げて、クラシック音楽と社会との関わりの歴史にせまっている。この書評では名だたる音楽家たちの中でもサッカーと非常に縁のある2人を取り上げてみたい。

 日本のサポーターが応援で使っている最も有名な曲のひとつがオペラ『アイーダ』の凱旋行進曲だ。日本代表の応援といえばこの曲の「オーオー、オオオ、オ、オ、オ、オオオオーオー」を多くの人は思い浮かべるだろう。

 この曲を作ったのはイタリアのジュゼッペ・ヴェルディだ。サッカークラブのパルマは元々、パルマ出身の彼にあやかり「ヴェルディ・フットボール・クラブ」として創設されている。

 彼が何の恐怖と闘ったのか。それは「神」の恐怖だ。鍵となるのは彼が作曲した『レクイエム』である。

 レクイエムは元々は曲名ではなく音楽の種類名である。キリスト教の教会での「死者のためのミサ曲」がレクイエムだ。キリスト教のための音楽のひとつである。そのため、ヴェルディ以前にも様々な音楽家がレクイエムを作っている。

 だがちょっと待ってほしい。映画『バトル・ロワイヤル』ではヴェルディのレクイエムの『怒りの日』が劇中音楽に使われている。他にもレクイエムはキリスト教と関係ない場所で演奏されている。なぜだろうか。

 実はこうして世界の様々なところでレクイエムが聞けるのはヴェルディのおかげである。彼は「宗教のコンテンツ化」を完成させた音楽家なのだ。

 彼のレクイエムはドラマチックさが特徴だ。教会での初演の3日後、イタリアのスカラ座での上演が大成功をおさめる。各地から上演の申し出が殺到し、宗教音楽としては異例の大ヒットを飛ばしたのだ。

 これを苦々しく思っていたのは、本来の顧客であるカトリック教会である。総本山であるヴァチカンは多くの音楽家がレクイエムを作ることも、それを教会以外で興行として上演することも批判していた。20世紀に入りカトリック教会は「前世紀のイタリアで流行した劇場様式の音楽は、礼拝の機能に最もふさわしくない」と、暗にヴェルディのレクイエムを否定している。

 ところが1962~65年のヴァチカンで開かれた公会議で歴史は動く。死者のためのミサの典礼から『怒りの日』などの部分が廃されたのだ。

 これはヴァチカンが「もうレクイエムはカトリックと関係ないから」と宣言したに等しい。宗教音楽だったはずのレクイエムが正式に「死者を追悼する音楽」という大衆のコンテンツとして認定された瞬間である。すべてはヴェルディのレクイエムの大ヒットから始まったのだ。

サッカーを支えに名曲を生み続けたショスタコーヴィチ

 中学時代、毎週楽しみに見ていたドラマがある。岡田准一さん主演の『SP』だ。このドラマの挿入曲として使用されていた『交響曲第5番第4楽章』を作った人物こそ、ロシアのドミートリイ・ショスタコーヴィチである。

 彼が闘った恐怖とは「国家権力」だ。ソ連はもとより世界を代表する音楽家となった彼が恐怖した国家権力とは何だったのか。

 ショスタコーヴィチを語るには彼の「ねじれ」を考える必要がある。彼の曲に関して後世では様々な解釈がされ、それが国家に対する彼の本意と結びつけられる。

 彼はソ連が生んだ若き天才として華々しく音楽家デビューした。しかしそのキャリアが暗転する出来事がおとずれる。発表したオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が共産党の機関紙『プラウダ』により大批判されたのだ。その批判のさなかに作った『交響曲第4番』は共産党幹部に彼が呼び出され、彼の「自己判断」により初演が中止される。若き天才は一瞬にして人民の敵になったのだ。

 スターリンが絶対権力者であり大粛清が行われていた頃だ。ショスタコーヴィチの姉は中央アジアに追放され、その夫は逮捕された。妻の母は強制収容所に送られた。まるで「いつでもお前もこうできるぞ」と言われているかのように。

 ついには彼の支援者だったトゥハシェフスキー陸軍元帥が逮捕され処刑される。それに連座してショスタコーヴィチも事情聴取を受けることになった。いつ裁判にかけられて処刑されてもおかしくない。万事休すだ。

 ところが彼を取り調べていた尋問官が逆に逮捕され、その後任はショスタコーヴィチが何の容疑で事情聴取するはずだったのか理由も分からなかったため彼は帰される。笑い話にするには本当に背筋が凍る話だ。

 大粛清を切り抜けた彼が作ったのが『交響曲第5番』である。この曲は「革命の勝利の讃歌」だとして共産党当局をはじめソ連中で大絶賛され彼は復権をとげた。

 ここで「ねじれ」が起きる。ソ連において芸術作品はあくまで「国家が認めたもの」しか発表できない。粛清の危機にさらされたショスタコーヴィチは当然それを念頭において曲を作ったはずだ。しかし彼の死後、この第5番は「革命の勝利の讃歌」と見せかけた「強制された歓喜」を表現したものというエピソードが広まっていく。暗に体制に盾ついたのか、本当に体制を賛美したのか。真相は誰にもわからない。

 スターリンの死後、彼にまつわるこんなエピソードがある。

 独裁者の死の直後、若い友人から「世の中は今後、良い方向へ向かうでしょうか」と質問されたショスタコーヴィチは、しかし、こう答えた。
「時代は変わったよ。しかし、密告者は以前と同じだ」(中川右介『怖いクラシック』p266)

 権力者が誰であろうとそこが共産主義国である限り、真意など明かせるわけがないのだ。第5番のみならず彼が発表した様々な曲は、永遠に分かるはずのない真意を問われ続けている。

 もし彼が国家への面従腹背をずっと貫いて曲を作り続けたとしよう。自分の真意を誰にも言えず、どこにも書き残すことができない。国家に悟られないように真意を音楽に込める。気を病みそうになる創作活動だ。

 そんな彼の心のよりどころがサッカーだった。創作活動も音楽に関する批評や意見もすべてが国家の目を気にしないといけない中で、サッカーだけが彼にとって自由に思いを吐き出せる居場所なのだ。いつ粛清されるかわからない時期でも彼はスタジアムに足を運んで観戦し、友人に選手のプレーを批判する手紙を送っている。

 彼のサッカー好きぶりを象徴するのが、彼の評伝であるソフィヤ・ヘーントワ『驚くべきショスタコーヴィチ』の内容だ。なんとこの評伝の3分の1以上が彼とサッカーの関わりに関する記述で埋め尽くされている。また彼がこまめにつけていたサッカーのメモは、当時のロシアサッカー史を知るための第一級資料だといわれている。

 誰を信用していいか分からない世界で、正気を保って音楽を創造し続ける。そのためにも必要だったのが「サッカーに狂う」ことだったのかもしれない。

サッカーにとっての「ステーキハウスの肉」とは

 本書には他にもモーツァルトやベートーヴェン、マーラーなどが登場し「死」や「戦争」などといった恐怖とクラシック音楽が論じられている。

 ところで著者はなぜ恐怖にこだわったのだろうか。クラシック音楽業界の事情がまず背景にある。

 クラシック音楽には、「暗い、長い、難しい」というイメージがあり、敬遠する人が多い。そこで、どうにかして多くの人に聴いてもらいたい――つまり「売りたい」という業界の事情から、とかく「親しみやすい」とか「癒し系」といった部分ばかりが強調される。(中川右介『怖いクラシック』p9)

 これはクラシック音楽に限らず、一般に楽しむハードルが高く見える娯楽は共通することではないだろうか。その上で著者は自らの思いを記している。

 しかし、「クラシックは難しくありません」「クラシックは癒されます」などと宣伝するのは、ステーキハウスが「当店はデザートが自慢です」と言うようなもので、どこか違うのではないか。ステーキハウスなら肉の美味しさを自慢すべきだ。
クラシック音楽のメインストリームは、この世のダークサイドを感じさせる「怖い音楽」なのだ。少なくとも、私自身の好みは「怖い系」にある。そこにこそ美はあるのだ。(中川右介『怖いクラシック』p9)

 世界は様々な娯楽に満ちている。その中からサッカーが選ばれるためにはエンターテインメントとしての面白さを幅広い切り口でアピールすることは当然だ。そこには、プレーなどピッチ内の事象をいかに楽しむかという切り口は絶対に欠かせない。それこそがサッカーというステーキハウスにおける肉の美味しさだからだ。

 多くの人の努力や発想で今のサッカーは色々な視点の楽しみが提案されている。そんな時代だからこそ改めてピッチ内の楽しみってなんだろうと深く考える。そういう時間があっていいのかもしれない。

【本書のリンク】
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【次に読むならこの一冊】
スティーブン・ジョンソン ・著『音楽は絶望に寄り添う』
精神疾患を持つ母親との葛藤を持ち、自らも双極性障害に苦しんでいた音楽番組プロデューサーがショスタコーヴィチの音楽を通して回復する過程を書いている。読むと不思議な気分になり、音楽の力を思い知らされる本だ。
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309256863/

【プロフィール】つじー
1993年生まれ。北海道札幌市出身。書評家であり、5歳から北海道コンサドーレ札幌を応援するサポーター。神戸大学法学部法律学科卒業。自身のnoteにて書評を週に一本執筆するほか、不定期でコンサドーレを中心としたサッカー記事も書いている。最近は現地のサポーターに「日本人最初のサポーター」と拡散されたことをきっかけにアダナ・デミルスポル(トルコ)を応援している。
◎note: https://note.com/nega9clecle
◎X(旧Twitter):https://twitter.com/nega9_clecle
◎ポッドキャスト『本棚とピッチのあいだ』:https://podcasters.spotify.com/pod/show/mthdfdja9c8

書評家つじーの「読書コーディネート」

 こちらはWM会員の皆様限定の企画です。僕が「読書コーディネーター」として、「いま読みたい本のイメージ」をお聞きしてオーダーメイドでおすすめ本をご提案します!

 過去にいただいたイメージは、ざっくりしたものもあれば具体的なものありました。どのような要望でも依頼いただいた方にぴったりの本を必ず紹介します。

 興味のある読者の皆様はまず有料部分の「【編集部より】」を読んでいただき、記されたメールアドレスに読書カルテ送ってください。それを元に次回以降、僕がおすすめの2冊を選んだ理由と共にご提案します。

 是非ご利用ください。よろしくお願いいたします。

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