宇都宮徹壱ウェブマガジン

さまざまな風景を見せてくれたFC町田ゼルビア 地域リーグからJ1までの長き道のりを振り返る

 今週のサムネイル写真は、今から16年前、2007年6月10日に撮影されたものだ。FC町田ゼルビアの旧エンブレムをあしらった大旗を振っているのは、コーチ兼選手だった竹中穣さん。そして場所は町田市立陸上競技場(通称「野津田」。現・町田GIONスタジアム)である。当時、町田は関東リーグ1部を戦っていた。

 なぜ、このような懐かしい写真を引っ張り出してきたかといえば、2006年から町田を応援してきたサポーターグループ「CURVA MACHIDA」が、今年12月31日をもって活動休止となることを知ったからだ。

CURVA MACHIDA WEBLOG CURVA MACHIDA 活動休止のお知らせcurvamachida.blog65.fc2.com

 文面を読むだけでは、なぜ活動休止となったのか、その理由が見えてこない。が、行間からにじみ出てくる寂しさは、ずっしりと伝わってくる。おそらくはクラブが来季、J1に昇格することと無縁ではないだろう。

 関東2部、1部、JFL、J2、再びJFL、J3、そして2度目のJ2では8シーズン目で優勝して、夢のJ1昇格を達成──。常識的に考えれば、J1の舞台でもCURVA MACHIDAとして、クラブを後押ししたかったはずだ。

 私が初めてFC町田ゼルビアを取材したのは、関東1部に昇格して1年目の2007年のこと。拙著『股旅フットボール』から引用する。

「町田って、完全なベッドタウンですから、みんなどこか他に故郷がある感じなんです。つまり、帰属意識が希薄なんですよね」
 そう語るのは、NPO法人AC(アスレチッククラブ)町田で「事務局長補佐」の肩書を持つ大友健寿、30歳である。大友は、両親の仕事の都合で少年時代を鹿児島県の奄美大島で過ごしているが、生まれたのは町田。この町こそが「自分の故郷」であり「誇りを感じる」と言い切る。高度成長期に誕生したベッドタウンゆえ、町田に帰属意識を感じる市民は、どうしても大友のような若い世代に限られてしまうようだ。

 この時、私の取材に応じてくれたのが、のちにクラブ社長となる大友さん。当時の貴重な写真も貼っておこう。

 CURVA MACHIDAには遠く及ばないが、私もひとりの取材者として、地域リーグ時代からの町田の歩みを折に触れて立ち会ってきた。その意味で、今季のJ2優勝とJ1昇格は非常に嬉しく思う反面、長年にわたりクラブの歴史を見つめてきた団体が活動停止となることを残念に思う。

 もちろん「語り部」を名乗るつもりはない。それでも、いくつかの重要な風景を写真におさめてきたという自負はある。そんなわけで今週は、新たな歴史を刻むであろうFC町田ゼルビアへのエールとして、過去の写真の一部を蔵出しすることにしたい。

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