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【無料公開】モリヤスハジメとは何者か? 後藤健生×中野和也×宇都宮徹壱<2/2>

【無料公開】モリヤスハジメとは何者か? 後藤健生✕中野和也✕宇都宮徹壱<1/2>

 

<2/2>目次

*ペトロヴィッチの後任として適応できた理由

*広島から続々と輩出される優秀な指導者たち

*「1−0での勝利」と「鹿島のような勝負強さ」


■ペトロヴィッチの後任として適応できた理由

 ──かくして現役を引退した森保さんは、2004年から指導者としての道を歩むことになるわけですが、まずは古巣のサンフレッチェ広島の育成からキャリアを積み上げていくんですよね。具体的にはどんな仕事だったんでしょうか? 

中野 いわゆる巡回コーチというやつですね。広島は各地にスクールがあって、それ以外にも幼稚園や小学校、中学校に赴いてサッカーの指導をするイベントがあるんですよ。そういうのに帯同して、最初の頃は指導だけでなく球拾いをしたり、お子さんたちの親御さんとお話をしたり、そういう地味な仕事をされていました。その後、JFAのトレセンコーチやU-20日本代表のコーチ、広島ユースのコーチを歴任しましたが、指導者としての出発点は、まさにそこからでしたね。 

──そこから07年に広島のトップチームのコーチになるんですけれども、ちょうどミハイロ・ペトロヴィッチが監督に就任したタイミングですよね?

中野 そうです。この頃の森保さんは、トップチームといっても、主に若手担当のコーチだったんですよね。遠征に参加できなかった若手を集めて、週末に指導するのが仕事でした。ただ、けっこう熱い指導でしたね。やる気が感じられない選手に対しては、「こらあ! やる気がないなら帰れや、お前!」みたいな感じで怒って、半泣きする選手もいたかもです(苦笑)。 

──なるほど。けっこう怒ると怖い人なんですね。その後の森保さんですが、2010年から11年の2シーズン、アルビレックス新潟のヘッドコーチになっています。この時の新潟の監督は、黒崎久志さん?

中野 そうです。オフト・ジャパンの盟友コンビだったんですけど、11年にヘッドコーチから外れて分析担当になっているんですね。この人事を知って、当時の僕は「それは違うだろう」と思っていたんです。ちょうど同じ年、広島が減資を含む財政再建が必要となって、11年シーズンをもってペトロヴィッチ監督との契約を満了せざるを得なくなります。それで彼のスタイルを継承できて、なおかつクラブの状況もよく知っているということで、森保さんが呼び戻されることになったわけですね。

──後藤さんは、この広島における一連の人事をどうご覧になっていました?

後藤 僕はペトロヴィッチとは仲良くさせてもらっていたけれど、広島の内部事情については遠くから見ているだけだったのでね。ただ、あとを引き継いだ森保が、このチームをどう変えていくのか。正直「大丈夫かな?」というのが当時の印象でした。

中野 さすがの後藤さんも、次の年に広島が優勝するとは思わなかったと思います(苦笑)。ペトロヴィッチ監督が抜けて、大型補強ができたわけでもない。何しろ減資しなければならなかったわけですから。少なからずのジャーナリストが、広島の降格を予想していましたけど、無理もない話だったと思います。

後藤 森保は現役時代から、とにかく考えながらプレーしているタイプだったから、いずれはいい監督になるだろうというイメージはあったんだよね。降格するかどうかはともかく、ペトロヴィッチが植え付けた特殊なサッカーを、彼がどう引き継いでいくのか。そこの部分については非常に興味がありましたね。

中野 2012年の開幕前に森保さんにインタビューしたんですが、彼は新潟時代に広島のサッカーをものすごく分析していたんですよ。可変式3バックのこととか、森崎和幸や青山敏弘の使い方とか、外側からものすごく学んでいたんです。その結果、森保さんとしてはアグレッシブなディフェンスをやりたかったんだけど、現状は5−4−1でブロックを作る戦い方が現実的だろうと判断したんですね。

──現実的というのは、つまり「残留」ということでしょうか?

中野 そうです。ただし攻撃的な部分に関しては、ペトロヴィッチの遺産がありました。コンビネーションも問題ない。そこで森保さんは、春のキャンプで守備の意識付けを徹底してやったんですよね。

 それと高萩洋次郎を一皮むけさせたこと。洋次郎は誰もが認めるファンタジスタだけに、リスクのあるプレーをあえてチャレンジするタイプ。そんな彼に対して森保さんは一言、「洋次郎。そういうプレーをしてもいいけれど、やるからには成功させろよ」と(笑)。洋次郎もプライドがあるし、自分のやりたいことを通すためにはどうすればいいかを考えながら、プレーするようになったんです。

後藤 結果として2012年の優勝に、彼は大きく貢献することになりましたね。

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