宇都宮徹壱ウェブマガジン

なぜスタジアムへの旅に「車を使わない」のか? 「47都道府県のフットボールがある風景」より

 3月に入ってから、国内取材の頻度が高まっている。先々週は沖縄、先週は山梨、そして今週は兵庫と大阪と愛知を回ってくる予定。これほど目まぐるしく移動を繰り返しているのは、今年6月に上梓予定の「47都道府県のフットボールがある風景」の写真集のためだ。私の「フットボールの白地図」は、まだ白いままの県がいくつかある。特に北関東方面は、これまで不思議とご縁がなかったので、4月には一気に埋めていくようにスケジュールを立てた。あとはコロナの影響が出ないことを願うばかりである。

 撮影取材と併せて、47都道府県を紹介する写真と文章については、noteにてエスキース版を発表しながら、編集者とデザイナーに順次入稿している。それとは別に「旅とフットボール」について、横串のテーマで5本のコラムを書くことになっているのだが、これがなかなかスタートを切れずにいた。そんなわけで今月から来月にかけて、当WMにて「旅とフットボール」のコラムを先行して掲載することにしたい。第1回のテーマは「移動」について。いつものWMコラムとは少し異なるテイストをお楽しみいただければ幸いである。

 国内取材を続けていて、個人的に心がけていることがある。それは「車を極力使わない」というものだ。もちろん、車がなければ到達できない取材現場というものは、いくらでも存在する。その場合、まず考えるのは「誰かの車に乗せてもらう」。それが難しい場合は「タクシーを利用する」。論外は「レンタカーで自走する」である。いちおう免許証は持っているのだが、残念ながら運転は大の苦手。今から12年前、レンタカーでアメリカのサッカーを取材したことがあったが、あの時は大げさでなく死ぬかと思った。

 あれ以来、私の免許証は「便利な身分証明書」でしかない。その間、何度か「自分で運転できたら」と思ったことはある。とはいえ、ある程度のドライビングテクニックを身につけたとして、確実に失われるものがあることに気がついた。それは何かといえば「移動を楽しむ」感覚だ。あくまで運転が下手な私の観点で言えば、車による自走は「距離を支配する」ことであるのに対し、公共交通機関の利用は「距離を受け入れる」こと。そして。その境地に達すると「移動を楽しむ」ことも可能となるのである。

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