宇都宮徹壱ウェブマガジン

ホームタウンから離れているからできること Jクラブ関東支部サポーター大座談会<4/4>

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■熊本地震直後の日立台でのホームゲーム

――次のテーマは「故郷がピンチの時に何ができるか」。写真は熊本が大地震の被害に遭った直後、日立台で熊本のホームゲームが行われたときのものですね。このテーマについてはぜひ、ときやんさんに語っていただきたいのですが。

ときやん 実は僕の出身は益城町でして、地震で家が全壊しちゃったんですね。幸い、家族は無事だったんですが、「よく生きていたな」と思えるくらいの被害でした。それまで身近な人たちが災害に巻き込まれたり、死を覚悟したりという経験がなかったものですから、あの時はサッカーのことを考える余裕なんかまったくありませんでしたね。

――そうでしょうね。この時はホームのうまスタ(現えがおスタ)が使えないし、地元もサッカーどころではない状態で、ようやく柏の日立台でホームゲームができることになりました。Jリーグもよくぞ決断したなと思うんですけども、関東に住んでいる熊本サポーターの動きはどんな感じだったんでしょうか?

ときやん 日立台で試合が行われることは、内々で聞いていたんです。そこで僕らに何ができるかを考えたとき、「とにかく人を集めるしかない」というということでした。試合があったのは5月22日だったんですけど、他所様のスタジアムをお借りするのに、ウチのサポーターが少ないってことになったらお話にならないですからね。

――柏がJ2の時、熊本のサポーターはどれくらい集まったんでしょうか?

ときやん せいぜい200から300人くらいでしたね。認めたくないけれど、それが熊本の限界でした。ですから行政や県人会も含めて、いろいろなところにお願いに行って、何とか「ホームゲーム」に恥ずかしくない人数にしようと必死でした。

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