宇都宮徹壱ウェブマガジン

「25年間お世話になった」クラブを去ることになって V・ファーレン長崎の功労者、岩本文昭さんとの再会

「私は(前身の)有明SCで13年、V・ファーレンで12年、合わせて25年間お世話になってきました。今年で49(歳)ですから、人生の半分以上ですよ。にもかかわらず、監督時代はチームをJFLに上げることができず、代表取締役専務となってからも、このようなご迷惑をおかけしてしまって……」

 声の主は、V・ファーレン長崎の代表取締役専務だった岩本文昭さんである。今年1月、極めて不本意な形でクラブから去ることを余儀なくされ、その後は深刻な体調不良により入院。退院後も「ほとんど引きこもりのような生活」を続けていたという。それでも入院していた頃に比べると、「かなり持ち直した」という話も聞いていた。なるほど確かに、ずいぶんと痩せてしまった印象はあるが、瞳はまっすぐこちらを向いているし、言葉もしっかりしている。少しだけ、安心した。

 私と岩本さんとの付き合いは長い。初めてお会いしたのは2005年。有明SCと国見FCが合併し、V・ファーレン長崎として九州リーグからJリーグ入りを目指すことになった頃である。それから実に、12年。監督時代は、長崎や地域決勝の会場で、そしてフロントに転じてからはJ2の試合会場やJFAハウスでばったりお目にかかることもあった。もっとも、付き合いが長いわりには、食事をご一緒したことは一度もなかった。もしかしたら、取材者とベタベタしたくないというポリシーがあったのかもしれない。

 先のコラムにも書いたとおり、今回、長崎を訪れたのはスポナビで連載中の『J2・J3漫遊記』の取材のためであった。何人かのキーパーソンにはクラブに依頼してインタビューすることができたが、岩本さんに関しては自分のコネクションでアプローチするしかなかった。結果として滞在最終日、長崎市内で岩本さんと再会を果たすこととなったのだが、ここで悩んだのが岩本さんに対する自分の立ち位置である。あくまで取材者として彼に質問をぶつけるべきか、それともここは友人のひとりとして聞き役に徹するべきなのか──。

 結局、今回は後者の立ち位置を採ることにした。一般的には、岩本さんは「経営責任をとる形で」クラブに辞表を提出したことになっている。だが実際のところは、当時の経営陣から「虚偽契約で不当な報酬を得た」と決めつけられ、代表権を奪われた上に追放のような形でクラブから追われることとなった。12年間もの長きにわたり尽力してきた功労者に対して、あまりにも酷い仕打ちであったと言わざるを得ない(このあたりの経緯については、『フットボール批評issue16 』の藤原裕久さんの記事に詳しい)。

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