宇都宮徹壱ウェブマガジン

映画『モンテビデオの奇跡』に込められたもの ドラガン・ピエログルリッチ(映画監督)インタビュー

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(C)Intermedia

7月18日から26日まで、埼玉県川口市で開催された『SKIPシティ国際Dシネマ映画祭』にて、『モンテビデオの奇跡』というセルビア映画が上映された。この映画は、2012年にヨコハマ・フットボール映画祭で上演された『モンテビデオ 夢のワールドカップ』という作品の続編。1930年にウルグアイで開催された、第1回FIFAワールドカップをめぐるユーゴスラビア(当時は王国)の代表チームの物語で、本作品はウルグアイの首都・モンテビデオが舞台である。

このほど、本作品を監督したドラガン・ピエログルリッチ氏が来日したことを受けて、徹マガでは特別にインタビューさせていただく機会を得た。ちょうど私はバルカンでの取材から戻ったばかり、しかも当メルマガでの連載でもおなじみの千田善さんに通訳を引き受けていただけるという、まさに願ってもないお話である。本作品は、映画祭のみの上演であったが、いずれ一般公開されるかもしれないので、ネタバレを最小限度にとどめつつドラガン監督へのインタビューをお送りする。なお、インタビューをセッティングしていただいた福島成人さん(ヨコハマ・フットボール映画祭プロデューサー)には、この場を借りて御礼を申し上げたい。(取材日:2015年7月20日 通訳:千田善)

■子役からプロデューサー、そして監督へ

──まずは来日の感想と本作の手応えを教えてください

ドラガン 初めての来日ということで、東京にも日本人にも特別な印象がある。まもなく帰国するが、セルビアにはポジティブな印象を持ち帰ることだろう。昨日の上演でも、セルビアと同じようなリアクションがあってうれしかった。彼らの表情から、日本人も映画も気に入ってくれたことを確信した。

──ドラガンさんは国籍がセルビアですが、ルーツはどちらになるのでしょうか?

ドラガン 生まれはベオグラード近郊。ルーツはヘルツェゴビナだ。出自を問われれば「ヘルツェゴビナ人」と答えるね。

──現日本代表監督のヴァイッド・ハリルホジッチさんと一緒ですね。実は私、先日彼の故郷であるヤブラニツァに行って、ヤギの丸焼きを食べました

ドラガン それはいい(笑)。あそこを訪れたら、ヤギの丸焼きは絶対に食べないといけないね。

──いやあ、格別でした。話を戻しますが、監督は最初、役者として映画の世界に入っていったそうですね

ドラガン そう。14歳で子役デビューした。第二次世界大戦のパルチザンの物語だ。その後、映画やTVドラマに出演するようになるんだが、いろんな役を演じているうちに自分でも映画を作りたいと思うようになった。それで友人と一緒にプロデュースしたのが、96年に製作した『ボスニア』(監督・脚本=スルジャン・ドラゴエビッチ)だ。友人のピクシー(ドラガン・ストイコビッチ)からは、日本でも上映されたと聞いている。

──そうです。私もロードショーで観ました

千田 映画のパンフレットの解説は僕が書きました(笑)。

──あの映画は、ボスニア戦争集結(95年)から間もない時期にセルビアで製作されたということで、非常に意義深い作品だったと思います。当時の評価はどのようなものだったんでしょうか?

ドラガン おっしゃるとおり、戦後すぐの作品だったから、人々の記憶もまだ生々しかった。ゆえにセルビアでもクロアチアでもボスニアでも、あの作品に対する評価は割れたが、評価する意見のほうが多かった。私自身、非常にいい作品だったと思っているし、何より、あのタイミングで上映することに大きな意義があったと思っている。

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