《きちルポ》77年ものパートナー関係だったアディダスとのスポンサー契約に終焉。DFBが27年からナイキとの契約を決断したその背景を探る
▼ アディダスの歩み
ドイツ代表と言えばアディダスで、アディダスといえばドイツ代表だった。
まさか、これが過去のことになるとはだれが思ったことだろう。
2024年3月、ユリアン・ナーゲルスマン監督率いるドイツ代表がアウェイの地でフランス代表に2-0と勝利する数日前。母国開催欧州選手権に向けた新しいドイツ代表のアディダス製ユニフォームが発表された翌日に、ドイツサッカー協会はそのアディダスとの契約延長をせず、2027年からナイキと契約を交わしたことを発表。
これがドイツ国内で大きな騒ぎとなっている。
アディダスといえば世界的なスポーツメーカーだが、その本拠地はドイツだ。
略歴を追ってみよう。
創始者はアドルフ・ダスラー。1920年、靴職人の息子として兄のルドルフとともにダスラー兄弟商会を設立すると運動靴の製造業をスタート。 1936年のベルリンオリンピック開催を機に大幅な業績アップに成功している。
このまま順風満帆に成長していくかと思われたが、ただダスラー兄弟は仲たがいすることが多く、ケンカはしょっちゅう。
そんな中、大きな事件が。
第二次世界大戦終了後、なんとルドルフがナチス親衛隊参加容疑でアメリカ軍に逮捕されてしまうのだ。ルドルフはアドルフによる密告が原因と信じこんでしまい、互いの仲は修復不可能な状態に。結果としてダスラー商会は分裂を余儀なくされてしまう。
主に販売をメインに担当していたルドルフの元には販売担当社員が、そして製造をメインに担当していたアドルフの元には製造担当社員が付いていくことに。
そしてルドルフがプーマ、アドルフがアディダスを新しい会社として設立したのだ。
プーマは2本線、アディダスが3本線という今ではお馴染みのデザインがそれぞれのブランドアイコンとなり、互いにシューズの開発とシェア獲得への熾烈な争いが繰り広げられた。
両社はダスラー商会の創業地であるヘルツォーゲンアウラハという街に流れる川の北側と南側とにそれぞれ新社屋を置き、街の人々はどちらのメーカーの靴を履くかで喧々諤々した雰囲気さえも生じてしまったという。
当初はドイツ代表やバイエルン・ミュンヘンの選手がアディダスのシューズを使用して優勝したため、アディダスがまず世界ブランドへの階段を駆け上る。
この圧倒的優位な状態が続くかと思われたが、一方でプーマは高い営業力を誇るルドルフの手腕もあり、ドイツ国内外の有名選手にシューズを提供することに成功。それこそペレやマラドーナといった、世界的なスーパースターがプーマのシューズを愛用したことで、ハイクオリティブランドとして世界的な認知を獲得することになる。
1974年にルドルフ、そして78年にアドルフがこの世を去った。どちらも経営権はダスラー家を離れている。だが両者の不仲は、残念ながら息子の世代になっても継続されているという。
▼ 突然の別離の理由は?
話をドイツ代表とアディダスとの関係に戻そう。両者のパートナー契約は実に70年以上にも及ぶ。正確には77年もの月日を共にしてきた。それこそ一蓮托生の関係性だと誰もが信じていた。
突然の別離はなぜ起こってしまったのだろうか。致し方ない理由が何かあるのだろうか。
(残り 2445文字/全文: 3754文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ