中野吉之伴フッスバルラボ

【きちルポ】人生とは刺激で満ち溢れていなければならないわけではない。日常に喜びを見出せる機会を子どものころから持つことの大切さ

▼ 子どものためにとはどういうこと?

僕が日本各地で講習会を開催するようになって10年近くがたつ。

欧州のみならず、日本国内でも学びを重ね、どんどんアップデートする形でお届けできるようにしているが、それこそ僕がドイツへ渡ったころから変わらない大事な本質もあるはずだ。

育成の目的は?という問いに「子どもたちが大人になった時に、選手としても、1人の人間としても、自分の頭で考えて、自分の足で歩いて、自分の手で道を切り開いていけるようになること」と、いつも僕は答える。

日本でもどこでも、殆どの人たちはみんながみんな《子どものために》と思っていろんなことを考えて、いろんな取り組みをする。あふれかえる情報の中から、なんとかふさわしいものを見つけ出そうと四苦八苦する。

一生懸命に、必死になって。無償の愛。そこへ向けられるエネルギーはとても大きく、尊い。

でもだからこそ、その一生懸命さが、子どもたちにとって負担になってしまったり、実はメリットよりもデメリットの方が大きかった、となってしまったら悲しいではないか。

本来《勝ち組》になることが人生の目的ではないはずなのだ。
そして《負け組》にならないことが人生を保証してくれるはずでもないのだ。

おそらく子どもたちの成長に必要なこと、大切な環境というのは、世界中どこでも大きくは変わらない。

目の前の成果や見た目に振り回されて、それぞれの年代で身に着けるべきことをおざなりにしてしまっていたら、どうなってしまうのだろう?

想像力をもって取り組むことが大切といわれるけど、それはうまくいくかもしれないという想像力のことであり、そしてうまくいかないかもしれないという想像力のことでもある。

いまうまくいっていることがいつまでもうまくいくなんてことはない。殆どの大人はそのことを知っているはずなのに、子どもにはあたかもそのための道ややり方があると伝えたがるのはなぜだろう?

昨今のSNSを見ていると、表現が大げさすぎないだろうか。

「やばすぎる」「どんな時でもうまくいく」「誰にも教えたくない」「〇〇を超えた」「ありえない」

そこまで何もかもがキラキラしてなきゃいけないのだろうか?
いつもいつも《レベチ》なものを探し求めなければならないのだろうか?

刺激があると人は興奮するしモチベーションも上がる。でも刺激が強すぎると自分をコントロールできなくなったり、ありきたりのことでは満足できなくなる恐れもある。

人生とは刺激で満ち溢れていなければならないなんてわけがない。

《最高》か《最低》かの二択で成り立っている世界なんて嫌だろう?
全てを《白》か《黒》かで決めなければならないわけでもないだろう?

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