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経営難とJ2降格の危機を救った「久保・本谷」の信頼関係 元サンフレッチェ広島社長が語るEピース建設秘話<2/3>

経営が苦しかった1998年のサンフレッチェ広島

──1998年、久保さんがサンフレッチェ広島の社長に就任した時、本谷さんはクラブの事業本部長となるわけですが、その前はアーチェリー部のお仕事をされていたそうですね。

本谷 アーチェリーと陸上部のフロント業務兼広報担当ですね。まあ、監督のお世話係みたいなものですが、そういった仕事を長くやっていました。

──久保さんからは、どのようなことを期待されていたのでしょうか?

本谷 競技は違うけれど、ずっとスポーツの現場にはいましたからね。それと久保さんは本業の社長でもありましたから、ずっとサンフレッチェばかりに向き合うわけにもいかない。ですから、僕が現場監督という感じで、困ったことがあったらどんどん報告するようにと言われました。

──当時のサンフレッチェは、経営的にかなり苦しかったと聞いていますが。

本谷 苦しかったですね。いろんなことに着手しましたが、そのひとつが損益の明確化。毎試合ごとに、どれくらいの入場料収入が必要で、そのために何人のお客さんを集める必要があるのか。具体的な数字に基づいた会議をずっとやっていました。それと僕自身、クラブ経営というものを知る必要があったので、JリーグのGM講座で学ばせていただきました。

──本谷さんが1期生だったんですよね。他に、久米一正さん、坂田信久さんもいらっしゃいました。今でこそスポーツビジネスは一般化しましたが、この時代はまだまだ浸透していなかったと思います。本谷さんもGM講座で学びながら、試行錯誤の日々が続いたのでは?

本谷 そうですね。そこで考えたのが「われわれの売り物は何か?」ということ。家電量販店の店長をやっていた時は、それがわかりやすかったんです。サンフレッチェの場合だと、やはり選手ということになります。ただし、僕が事業本部長になった時には、すでに多くの主力選手を放出してしまっていたんですよ。

──森保さんもそうでしたね。最初は京都パープルサンガに完全移籍になるはずだったのが、サポーターの働きかけによってレンタル移籍となり、1年後の1999年に広島に戻ってきました。

本谷 そうそう。あれは久保竜彦が契約更改のときに「森保さんを戻してほしい」とボソッと言ったのがきっかけでした。僕が森保と初めて出会ったのは、復帰した時でしたね。

──初めて森保さんと話した時、第一印象はどんな感じでしたか?

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