宇都宮徹壱ウェブマガジン

「何も変わってないファジ丸を見て泣きそうになりました」【新連載】マスコットに救われた話 ひぞのゆうこ(歌人)

 今月から月イチで新連載をスタートさせることにした。題して「マスコットに救われた話」。タイトルそのままに、マスコット好きな方々にご登場いただき、毎回「マスコットに救われた話」について語っていただく。

 マスコット関連のイベントや写真コンペを主催してみて、以前から気になっていたことがある。それは「マスコットファンには、何かしら共通性があるのではないか」というもの。より具体的にいえば、皆さん「マスコットに救われた話」をお持ちなのではないか、と考えたのである。

 もちろん、漫然とマスコットに癒やされている方のほうが、圧倒的に多いのかもしれない(私自身もそうだ)。けれども、のめり込むようにマスコットを推している人の中には、何かしら決定的な契機があったのではないか? そんな仮説を立てた私は、さっそくXで呼びかけることにした。

 この呼びかけに、最初に反応していただいたのが、ひぞのゆうこさん。ひぞのさんは香川県在住の歌人で、ファジアーノ岡山のファジ丸推し。短歌との出会いも、マスコットがきっかけだったという。

 ちなみに役所務めの経験からか、彼女の話には和暦と西暦が混在している。実生活の話は和暦で、サッカーの話は西暦なのだが、本稿ではあえてママとした。果たして、ひぞのさんはいかにしてマスコットに救われたのだろうか。さっそく彼女の言葉に耳を傾けてみることにしたい。(取材日:202443日、オンラインにて収録)

【編集部より】当連載は随時インタビュイーを募集中。XでのDM、もしくはメール(infotetewm@targma.jp)にて、以下の情報をお送りください。

・メールでの件名「マスコットに救われた話」

・お名前(ハンドルネーム可)

・連絡先(メールアドレス、LINEなど)

・お仕事

・推しマスコット

・どのように「救われた」のか(簡単に)

病気に苦しめられ、両親とも死別して

 自分の半生を振り返った時、昭和や平成よりも令和に入ってからが激動でした。

 双極的障害で市役所の仕事を辞めたのが、令和元年(2019年)の8月。その1カ月後に母を亡くしました。自分の治療に専念したかったのですが、父の自宅介護もあったので、令和2年(2020年)9月から3カ月入院することになりました。その父も、令和4年(2022年)3月に亡くなり、私自身は今、福祉のお世話になっています。

 初めて入院したのは、平成16年(2004年)。就職して1年目でした。最初の仕事は県警の事務職として、主に家出人や自殺者の処理をしていたんですが、なかなか慣れない上に業務もハード。朝の7時から夜の21時まで働いていました。その間、眠れなかったり、食べられなくなったり。とうとう出勤途中に倒れてしまって、休職と復職を繰り返しているうちに、結局1年で退職することになりました。

 最初の鬱状態を乗り越えるまで、3年くらいかかりましたね。その後、平成20年(2008年)に市役所の税務課に採用されることになりました。部署を変えながら、市役所には10年間勤めたんですが、その間も病気に苦しめられることになります。「ラピッドサイクラー(休息交代型双極性障害)」といって、年に4回以上、躁と鬱を繰り返していました。

 長い時には、3カ月くらい入院していましたね。薬を投与されていたんですが、たまにオーバードーズ(過剰摂取)の衝動にかられることもありました。そんな時に私を救ってくれたのが、長期入院前に出会っていた、ファジ丸と短歌。ファジ丸と短歌のおかげで、それほど人生に悲観することはなく、今日まで生きていくことができたんだと思います。

同僚に誘われてファジアーノの試合へ

 ファジ丸との出会いは、市役所の税務課の同僚に、ファジアーノ岡山の試合を誘ってもらったのがきっかけでした。高松から岡山へは、ちょっとしたお出かけ気分で行くことができます。2012年の5月で、私にとっては初めてのサッカー観戦。対戦相手がどこで、勝ったか負けたかも覚えていません(苦笑)。覚えているのは、お天気が良かったことと、ファジ丸に出会ったこと。

 ちょうどグリーティングしていて「あ、マスコットがいる!」と思って手を振ったら、振り返してもらえたんです。それも義務感によるものではなく、心から喜んでくれるような手の振り方でした(笑)。そのあと、握手してハグして、一緒に写真を撮らせてもらって。素敵なマスコットがいるだけでなく、ファジフーズも美味しかったし、試合もエキサイティングでした。

 それからですね。「また行きたい!」と思うようになって、ひとりでスタジアムに通うようになりました。2013年には、シーズンパスを買うようになって、ホームゲームはほぼ皆勤。アウェイも、ガイナマンに会いたくて鳥取にまで足を延ばしました。そのうちファジアーノ以外の試合も見たくなって、わざわざ味スタでの多摩川クラシコも観戦しました。

 シーパス保持者だったのは、23年くらいでしたかね。その後は病状がひどくなって、入院のためスタジアムから遠ざかる時期もありました。退院後、久しぶりにファジアーノの試合に行ったら、何も変わってないファジ丸を見て泣きそうになりました。懸命に手を振ってくれて、カメラを向けたらポージングしてくれて。うれしくて「ぴっぴ」という地元のお菓子を渡したら、とても喜んでくれました(笑)。

(残り 1257文字/全文: 3513文字)

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