国民の記憶とパラレルワールド TOKYO2020点描<2/2>
あらためて、二度目の東京五輪を招致した、為政者たちの「目的」について考えてみたい。東日本大震災からの復興を世界に知らしめるため? それは明らかに後付けの理由だろう。インバウンド需要のため? それは間違いなくあったが、コロナのおかげでほとんどパーになってしまった。一方、開催都市の東京都は、今大会を湾岸地域開発の起爆剤と捉えていた。この目的については、紆余曲折をはらみながらも達成できたと言えるだろう。
そんなわけで東京五輪開幕8日目の7月30日、カミさんと湾岸エリアを散策することにする。この日は金曜日。炎天下と混雑を避けるべく、朝の5時30分に起床し、りんかい線の東京テレポート駅には8時15分に到着した。エスカレーターで地上を目指す間、周囲を見渡すと通勤する勤め人ばかり。五輪開催中の祝祭感は皆無である。
地上に出てから、2020ファンパークを横目に見ながらウェストプロムナードを通過し、オリンピックプロムナードを目指す。早朝ということもあり、行き交う人々はまばらだ。コロナ禍がなく、海外から多くの観光客が訪れていたなら、周辺は格好の「おもてなし」の場となっていたことだろう。
それにしてもなぜ、今大会の聖火台は国立競技場から遠く離れた、湾岸エリアに置かれたのだろうか。大会組織委員会によれば、聖火台を五輪スタジアムの外に配置された例は、過去の夏季五輪では皆無だという。「スタジアムの屋根が木製となったため、火災のリスクがあったから」という説もある。それが真相だとしたら、何とお粗末かつ本末転倒な話であろうか。
聖火台を撮影してから、青海まで歩いてゆりかもめに乗車。途中、有明アーバンスポーツパークのBMXレーシングコースが見えてくる。有明周辺には他に、バレーボール会場となっている有明アリーナ、有明体操競技場、そして有明テニスの森がひしめいている。オープンエアの仮設会場だったり、贅を尽くした木材建築だったり、さまざまな趣向を凝らした会場を揃えたものの、その素晴らしさを私たちが体感できるのは大会後の話だ。
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