わが平成史 写真とフットボールを巡って 社会人1年目の「暗室暮らし」(平成4年/1992年)
平成時代も、先月末で残り半年となった。平成を振り返る時、絶対に外せないのが「バブルの終焉」と「失われた20年」のはじまりである。バブルの終焉は92年の2月19日、当時の経済企画庁が「前年1〜3月期をピークに日本経済がリセッションした」と、事実上の景気減速を宣言。2000年代まで続く「就職氷河期」も、この年が端緒となったとも言われている。92年──すなわち平成4年は、平成時代の30年間における最初のターニングポイントとなった年であったと言えよう。
幸か不幸か、私は前年の91年に就職活動をしている。まだバブルの余韻があったこともあり、当時の就活は実にお気楽なものであった。最近の大学生はエントリーシートを数十社に送るという話も聞くが、私は映像系のプロダクションを3社受けて、そのうち2社から内定をいただいた。当時はエントリーシートなんてものはなかったし、いわゆる就活スタイルも今よりはるかに自由で、私はライトグレーのスーツで面接を受けていた。それでも2浪+大学院2年の26歳新卒は、都内にある映像制作会社に無事に就職。社会に出るのがあと1年遅れていたら、こうはいかなかっただろう。
前回の「平成元年/1989年」から、一気に3年後の「平成4年/1992年」に話が飛ぶのは、写真家を夢見る当時の私にとって転機の年であったからだ(逆に大学院時代の2年間は、こと「写真」に関しては大きなエピソードがなかった)。この年の大きな出来事といえば、(1)社会人となったこと、(2)ひとり暮らしを始めたこと、(3)自分の暗室を持てたこと、である。いずれもバラバラな出来事のように見えながら、実は私の中では、どれひとつ欠けてはならない重要案件ばかりであった。
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