宇都宮徹壱ウェブマガジン

「君は横浜フリューゲルスを見たことがあるか?」合併発表から20年、何を語り継ぐべきか<1/2>

 今週は、4月20日に東京・高円寺のKITEN!で行われた宇都宮徹壱WMプレゼンツ『「君は横浜フリューゲルスを見たことがあるか?」合併発表から20年。今こそ語り継ごう「Fの物語」』の模様をダイジェスト版でお届けする。登壇者は写真左から、サポーターグループ『ASA AZUL』元代表の川村環さん、元横浜フリューゲルスFWの前田治さん、取材者代表としてライターの戸村賢一さん、そして全日空時代からファンだったという漫画家の大武ユキさんである。

 当WMでは隔月の頻度で、KITEN!でのトークイベントを開催しているが、当企画はフットボールチャンネルで連載中の『フリューゲルスの悲劇:20年目の真実』と連動する形で行われた。当日は、かつてのフリューゲルスのサポーターに加え、横浜F・マリノスのサポ、あるいはその他のクラブのサポも数多くつめかけ、大盛況のうちに終えることができた。当日、会場にいらした皆様には、この場を借りてあらためて御礼を申し上げたい。

 イベントは2部構成。第1部は20年前の1998年10月29日の合併報道から翌99年1月1日の天皇杯決勝までの出来事について。休憩を挟んでの第2部では、記憶の風化が続く「Fの悲劇」について。それぞれ登壇者の皆さんの視点から語っていただいた。イベント開始前の会場では、合併発表直後のこちらの映像を流している。本稿を読むにあたり、当時の空気感を再確認する意味でもご覧いただくことをお勧めする。(収録日:2018年4月20日@東京)

<目次>

*それぞれにとっての「98年10月29日」

*「全日空+佐藤工業」でASフリューゲルス

*巨大な横断幕に書かれたメッセージ

*消滅後、「心のクラブ」は見つからず

*全日空1社での継続は可能だった?

*「外してほしいF」と「返してほしいF

それぞれにとっての「98年10月29日」

──少し長めでしたけれども、当時のニュース映像をご覧いただきました。20年前のことを忘れかけていた方も、あるいは当時はまだ幼くてよく知らなかった方も、大まかな概要と当時の空気感は把握できたと思います。戸村さんはこの時期、すでにこの問題を取材されていたんでしょうか?

戸村 いえ、まだですね。最初の取材が、ホーム最終のアビスパ(福岡)戦です。実は合併発表があった(10月)29日って、徹夜続きで朝の新聞も読んでいなかったんです。それで夕方5時のフジのニュースで「横浜フリューゲルス、マリノス合併」とか言っていて、確か八木(亜希子)アナウンサーが、「ふたつのチームのサポーターは、これから仲良く応援してほしいですね」って言って締めたんですよ(笑)。「絶対ない!」って思ったのを思い出しますね。

大武 私は前田さんが新人で入った88年から、JSLとしての全日空横浜サッカークラブ(のちに全日空サッカー部)を4年間くらい応援していました。そういう人間からすると(マリノスの前身の)日産は敵だったわけですよ(笑)。だからフリューゲルスが消滅することよりも、この2チームを一緒にすることのあり得なさのほうに憤りを感じましたね。もっとも、全日空がもともとそういう会社だったので、その意味ではびっくりしなかったです。社内後援会に特例的に4年も入れてもらっていたんですが、「全日空は横浜フリューゲルスになります」というお知らせがまったくなくて、それで自分でフリューゲルスのファンクラブに入り直したということもありましたから。

(残り 4868文字/全文: 6287文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

1 2 3
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ