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【無料公開】特別座談会「スタンド目線で語る20年前の歓喜」 サポーターはジョホールバルで何を見たのか?<2/2>

大場理惠氏提供

■人生の転機になったジョホールバル体験

――試合後、最も早く帰国したのが大場さんで、月曜日の早朝には名古屋に着いていたんですよね?

大場 そうです。それで当時J-WAVEでやっていた、ジョン・カビラさんの朝の番組に電話出演をしたんですよ!

――それはまた、どういう経緯で。

大場 出発前、番組で「われわれの魂をジョホールバルに持っていってくれる人募集中!」みたいなのをやっていたんです。それで自分の熱い思いを書いてFAXしたら、番組から「あなたに決まりました」という電話がかかってきて、金曜日に電話出演したんです。そうしたら、その日の午後にカビラさん本人が私の会社に来て、番組に集まった1000枚くらいのFAXを丸めて筒に入れたものを手渡したんです。「これはわれわれの魂が入っているので、現地に持っていってください!」って。

住吉 スタッフじゃなくて、ジョン・カビラ自身が会社に持ってきてくれたんですか。

大場 来ました! 写真もあります。

成田 その魂を引き継いだのに、飛行機の時間ばっかり気にしてダメじゃないですか(笑)。

大場 その時にカビラさんが「もし携帯をお持ちでしたら、月曜日の朝にまた電話をかけますからラジオに出てください」って。幸い、当時から携帯を持っていたので、それで出させていただいたんです。

――当時はまだ、誰もが携帯を持っていませんでしたからね。私もこの年にフリーランスになって、初めてPHSを持ったのをよく覚えています。それで、皆さんが帰国したのは月曜日の昼くらいですか?

成田 そうです。帰りの飛行機に乗ったら、機長のあいさつが「みなさま、ワールドカップ出場おめでとうございます」みたいな感じで。CAさんもニコニコでしたよね。

山根 私は3泊4日のツアーだったので、帰国はそのあとでした。確か火曜日に出社したと思うんですけど、職場のみんなから「おめでとう!」とか「ありがとう!」とか、選手でもない私に感謝するんですよね(笑)。会社を休んで応援に行っただけなのにヒーロー扱い。でも、すごく気持ちよかったですよね。

――その後の日本は、アジア予選を4回連続で突破してワールドカップに出場します。そのいずれの現場にも取材者として立ち会いましたが、ワールドカップ初出場を決めた試合って20年前のジョホールバルしかないわけで、あれを経験したことって本当に大きいと思うんですよ。きっと、その後の皆さんの人生に大きな影響を与えていると思うんですが、いかがでしょうか。

大場 私は96年にクアラルンプールに行って、97年にジョホールバルに行って、98年にフランスに行って、それから独立して今に至っているんですけど、サッカー関係者の皆さんにジョホールバルに行った話をすると必ず盛り上がるんですよ。あるいは、私のことを認めてくれる感じになるんですね(笑)。グッズの仕事をしていて、そこは大きかったと思います。

山根 私はあの経験を境に、人間としての一線を越えたというか、バカになりましたね(笑)。それまでは生真面目な人間だったんですよ。それが、チケットがないのにフランスに行ってしまうような人間になってしまって。そのきっかけがジョホールバルでしたね。

住吉 先ほども言いましたけど、僕はサッカー初観戦がジョホールバルで、そこから一気にサッカーに懸ける情熱が上がりました。Jリーグを観に行くようになったし、自分でもフットサルチームを作ってプレーするようになったし、サッカーを通して仲間も増えました。それから海外出張に行っても、現地の人たちとサッカーでコミュニケーションできるようになりましたし、まさにジョホールバルによって人生が変わったと思っています。

石井 僕は緑内障で2000年に失明してしまうんですけども、その前にジョホールバルで出会ったメンバーとサッカーチームを作ったのがきっかけで、ブラインドサッカーと出会うことができました。今ではブラサカはすっかり有名になりましたけど、第1回の日本選手権の時は本当に大変だったんですよ。僕は選手兼実行委員だったんですけど、ジョホールバルの時の仲間たちがいろんな形で応援してくれて、何とか無事に開催することができました。あの時に生まれたつながりは、今でも大切にしています。

成田 僕自身も、ジョホールバルで何かを超えたという実感はありますね。当時40代でしたけど、そこからさらに人生が広がるとは思わなかった。でも40を過ぎても、まだまだ可能性はいくらでも広がるわけで、そのきっかけがアートだったりスポーツだったりするんだということを、こうして皆さんとお話してみてあらためて感じましたね。

――そして、このジョホールバルでの経験が、翌年のフランスにつながっていくわけですが、これまたエピソードが満載なんでしょうね。この座談会が好評でしたら、来年は「フランス98」の20周年企画を考えたいと思います。今日は皆さん、ありがとうございました。

<この稿、了>

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