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中野吉之伴フッスバルラボ

【きちルポ】ドイツサッカー界のメシアと持ち上げられ、サッカー人生を狂わされたダイスラーの引退劇からメディアのあり方を考える①

▼ 止められない外からの影響

ドイツサッカー界で最も大きな悲劇といえば、2つすぐに思い浮かぶものがある。じっくり考えたらもっとたくさんあると思うけど、常に僕の中で考えさせられるものとしてはこの2つだ。

1つが元ドイツ代表GKロベルト・エンケの自死。
そしてもう一つが元ドイツ代表MFセバスティアン・ダイスラーの早期引退。

どちらも選手一人ではどうしようもない社会における歪みの一部が反映されていると感じている。自分の意志では変えられない渦の中に放り込まれ、翻弄され、抜け出すことができずに苦しみが膨れ上がっていく。その出口が自死や引退となってしまったこの2ケースはあまりにショッキングで、あまりにやるせない。

エンケについては以前にこちらでまとめたことがあるので、ダイスラーについて取り上げてみたいと思う。

ダイスラーは1990年代後半から2000年代初頭にかけて登場した攻撃的MF。ダイナミックなドリブルと高精度のキックが素晴らしく、「ドイツのベッカム」としてメディアでも大きく取り上げられていた選手だ。当時のドイツサッカー界は深い低迷期に沈んでおり、ダイスラーはそんなドイツサッカー界に希望をもたらす存在として扱われていた。バイエルン、そしてドイツ代表の中心選手としての活躍を誰もが楽しみにしていた。

だが膝の十字靱帯断裂など度重なる負傷とこうした世間からの度が過ぎる注目度の高さがその心を蝕み、うつ病を患ってしまう。そして2009年1月、当時バイエルンでプレーしていたダイスラーはウリ・ヘーネス会長に直談判し、現役引退の決意を伝えた。バーンアウトだった。

引退から19年の時が経った。ドイツメディアでは「いまダイスラーはどうしている?」という記事をこの時期によくアップしている。僕もそうした記事を目にしたことで、改めてダイスラーのことに思いをはせた次第だ。

今回は引退8か月後にドイツメディアのインタビューに答えたものを紹介したい。

これはただの昔話でもなければ、全くの他人ごとではない。SNSにおける過熱や誹謗中傷問題が後を絶たない日本でも、すでに同じようなケースは起こっているし、増え続けている。

「ほかの人も言っているから」「間違ったことは言っていないはずだから」「ちょっと強めの表現になっているだけだから」というのは、言い訳に過ぎない。「そんなつもりはなかった」なんてことを言ってからでは遅いことがたくさんあるのを、僕らはもっと知らなければならない。

人生を軽はずみに、面白半分にどうこうしていいなんてことが許されていいはずがないのだ。

▼ 「引退でホッとした」

---- 現役引退から8カ月が経ちました。これまでメディア対応は一度もありませんでしたが、その理由は?調子はいかがですか?

「ありがとう。元気にしているよ。僕にはまず世間との距離をとることが必要だったんだ。静かな環境を求めていたんだ。メディアの前で何かしゃべって、新しい何かのテーマにはなりたくなかった。どうか、僕のことを誤解しないでほしい。いまは自分で人生を決めて、進めていきたいと思っている。今回は僕のことを少し話して、当時どんな状況だったのか、選手キャリアを終えた背景への少しの振り返りをすることはできると思う」

----現在あなたは27歳です。サッカー選手としてベストといわれる年齢です。いまサッカーが欠けていると思われることは?
「僕に欠けているサッカーは、僕が去ることになったサッカーとは違うんだ。僕はこれ以上できないというところまで走り続けた。でも個のプロサッカービジネスの中でやり遂げることはもうできなかった。からっぽで、年を感じて、疲れ果てていたんだ。僕の足が動かなくなるところまで来てしまっていた」

----少しずつ整理していきましょう。バイエルンの冬季ドバイ合宿中に引退の決断をされた?
「それ以外に解決策が見いだせなかったんだ。みんなが僕を理解してくれるなんてことも望めない。少しずつ自分と向き合う中で、こうした人の注目を集めるところから離れて、新しいことをスタートさせたいと思うようになった。どうかそのことをリスペクトしてほしい」

----引退を決断した後の日々はどのような感じだったんですか?
うれしかったし、ほっとしたし、そんな感じがしていた。大きなけがを何度もしたけどそのたびに復帰に向けて戦ってきた。でも最終的に僕の力はすべてなくなってしまった。新しいリズムを作るのに数か月は必要だったんだ。簡単じゃなかったよ。いまはようやくうまく自分と向き合えるようになっていると思う」

----ウリ・ヘーネスは「セバスティアン・ダイスラーをめぐる戦い敗れた」というふうに話をしていましたが、あなたもそう感じましたか?
「いや、僕は別の見方をしている。本当に長い間僕は戦い続けていた。自分との戦いをやり続けていた。でももうできないところまで来ていた。だから線を引いたんだ。ウリ・ヘーネスには本当に感謝している。僕のそばに立って、理解をずっと示してくれたのだから。あの1月に、僕が抱えているすべての問題、痛み、夢、あらゆることがあふれかえってしまって、受け止めきれなくなったんだ。最後となったドバイでのマルセイユとのテストマッチでは、また大けがをしそうになってしまったというのも理由の一つになる」

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