【きちルポ】震災から1年経った能登の今③輪島っ子とサッカー交流。スポーツの力を最大限に広げていこう
▼ 現地で知る震災の影響
1月22日17:00ごろ、ツンさんに連れられて会場となる小学校に到着。
冷たい風が吹く中、着替えてトレーニングをする場所をチェックする。震災の影響でグラウンドはどこも使えない。夏に輪島を訪れた際には町はずれにあるゲートボール場を使用していた。
状態はそこまで悪くない芝の空き地といったところ。簡易のゴールと網状の車止めみたいなのがあったので、それを使ってミニゲームを楽しんだ。道具が十分にあるわけではないけど、ちょっとしたルール設定やオーガナイズの工夫でこちらからアプローチできるものはある。「普段の子どもたちでは見たことがないような動きがみれた」と指導者の方に驚いてもらえたのはとてもうれしいフィードバックだった。

あるものを最大限に活用

ドイツからのお土産を喜んでもらえた

暑い中みんなでサッカーを楽しんだ
そういえば、グラウンドのすぐ近くには海岸があるのだが、パリ五輪プロジェクトの参加者に連れられてそこへ足を運んだのを思い出す。
トンネルは崩れて通行止め。しばらく歩いて渡るとそこには天然の岩を利用した海水プールの跡地があった。国の有形文化財にも登録されている。

完全に道がふさがっているトンネル
夏はここで遊ぶのが恒例だったと聞いた。小さな子どももちょっとやんちゃな年頃の子たちも、思い思いに海遊びができる場所だった。

本当は水があるべきところに水がない

子どもたちだけではなく、家族憩いの場だった

僕にいろんな話をしてくれたみんな
少し歩いた先にある崖に案内してくれた。地元っ子はここからみんな海に飛び込んで遊ぶんだと教えてもらった。
「でもちょっともう難しいかな。地震の影響で海底の部分が上がってきているんです。飛び込むには深さが足らないようになっちゃった」

海とともに生きてきた地元っ子にとって欠かせない場所だった
一人がそうやって話してくれた。お世話になった池坂さんにはこんな話も聞いた。
「あのあたりの石が全部他より白いじゃないですか。あれ全部以前は海底だったところなんです。地震で全部せりあがってきたんですね。聞いた話だと最大で4m近くも地殻が上がったらしいですよ」

しばらく黙って海を見ていたみんな。何を思っていたんだろう。
こなければわからない話だった。見なければ実感できない話だった。
地震は怖いと僕らは言う。
でもその怖さを僕らは知らない。
子供らと一緒に海を眺めた。きれいな海だ。夕焼けも美しい。いろんな思いが込みあがる。どの思いとも向き合って歩いていかなきゃって思った。

ボールがあれば僕らは繋がれる

パリ五輪プロジェクト参加者はこの日もテレビ取材。大変だ
▼ 輪島っ子とサッカー
今回のトレーニングには輪島ジュニアサッカークラブの1年生から6年生までみんなが集まってくれた。幼稚園の子たちもいたようだ。サッカー日和、と言える天気ではない。前述したようにトレーニングしやすい場所でもない。
でもみんなとても元気に僕とのサッカーを楽しんでくれた。思う存分体を動かせることがどれだけ素敵なことか。みんなの様子を見て、それを何度も実感した。
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