【ゆきラボ】穏やかならざる秋/年に一度の試練・GFSのリアルを長男に聞いてみた
こんにちは!ゆきラボです。
今回は本当は別のテーマを準備していたのですが、書き進めているうちにアメリカの大統領選の結果が出たり、ドイツでもショルツ氏率いる連立政権が崩壊するなど、なかなか穏やかな気持ちではいられなくなるような出来事が続いています。
イメージ https://www.photo-ac.com/
SNSばかり眺めていると、世の中には自分と同じ考えをしている人がたくさんいるのではないか、という錯覚に簡単に陥ってしまうのですが、それって私がSNSの中で「見たいな」「聴きたいな」と思っているものがアルゴリズムで次々に差しだされているだけなんですよね。
何か大きな事件が起こって、それに対する反応をSNSではないところから見聞きすると、自分の考え方は世の中にたくさんある考え方のごく一部にしか過ぎなくて、決して多数派の考え方ではないし、周囲にそれほど仲間がいるわけでもないのかもな……と、寂しさや孤独に似た感情を覚えます。
普段気づかないだけで、自分の身近なところにも、全然違う物事の見方や捉え方をしている人は当たり前にいます。こういう大きな出来事が起こったときにその違いが浮き彫りになると、お互いの信条や価値観が全然噛み合わずに、気まずくなったりモヤモヤしたりしたりしてしまいます。
結局、世界を自分の都合のいいように見て解釈していただけで、現実の世界は違う方向に動いていくのかなと思うと、無力だなとも感じます。
やるせない気持ちのときに、きれいな草花は目にも心にも沁みます
ある著名な作家がインタビューに答えて次のようなことを言っていました。インタビューの元記事が見つからないのでうろ覚えなのですが、
あなたが異国に行って、異文化に触れたとする。もし、そこで自分と似た立場にあり、似たものに興味を持ち、似た価値観を共有できる人に出会えれば、言語や文化の違いがあったとしても、お互いが分かり合うのはそれほど難しくないかもしれない。
それよりも、同じ国・同じ街に住み、同じ言語や文化を共有しながら、自分とは立場も興味も価値観も何もかもが全く異なる、数十メートル先の近所の人とお互いを理解し合うことのほうが、おそらくはずっと難しい。
私たちに本当に必要なのは、遠い海外で自分と似た誰かと交流することだけではなく、歩いて行ける距離にいるのに普段は全く接点のない誰かとも、きちんと関わりを持つことなのではないか。
おおむねこんな内容だったと記憶しています。お互いの胸の内がどうであれ、その人と同じ場所で暮らしていく日常は明日も明後日もその先もずっと続くんだよな……ということをとりとめもなく考えてしまう今日この頃です。
コラム後半は、前回に続いてバーデン・ヴュルテンブルク州の学校で行われる試験・GFSについて書きます。
GFSは年に1度、好きな科目とテーマを1つ選び、それについてプレゼンテーションを行うという形式で行われる試験。今回は久しぶりの息子インタビュー企画ということで、11年生(日本の高2)になる長男に、GFSについてさらに詳しく教えてもらいました。
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