中野吉之伴フッスバルラボ

【指導論】相手の答えを引き出すための質問力ってなんだ?稀代の名将がプロ選手を魅了していた気づきの瞬発力って?

▼ 優れたディスカッションに必要な要素とは?

湯浅さんはドイツ時代にへネス・バイスバイラー、デットマール・クラマー、ゲロ・ビサンツ、クリストフ・ダウムなどなど、ドイツの伝説級名指導者と交流をもっていた。それだけでもすごいことだが、当時は今以上に世界の情報が手に入る時代ではなかったわけだ。

今でこそ例えばドイツでも海外組の活躍もあり、日本人とサッカーを結びつけてこちらに理解を示してくれる人もたくさんいる。でも70年代のドイツでは、日本という国は異国中の異国。サッカーをやっているなんてことを知ってる人はほとんどいない。

正直考えただけでも怖くなる。いや、人種差別なんてのも今とはくらべものにもならないレベルだったはず。僕がドイツに渡った01年のころでも、まだインターネットも普及されていなかったし、スーパーでアジア系の食材なんかも手に入らなかった。

今と比べたらそりゃ相当大変だったと思いだすけど、70-80年代ってその時から見ても20~30年以上前の話だ。いや、湯浅さんのみならず、当時、そしてそれ以前の留学されていた方々の胆力というのは生半可なものじゃない。尊敬の念しかない。

そんな時代にどうすれば少なからずコミュニケーションをとって、相手にこちらへの興味を引き出すことができるのか。それも普通のサッカー仲間とか近所のサッカークラブのおっちゃん指導者が対象なわけではない。

湯浅さんはこんな風に話していた。

「大切なのは質問力だ。質問でこちらのレベルが図られるということだね。相手が”お?”と思うような切り口で話しかけて、”お前、結構わかるじゃないか?”という話をぶつけて、”そうか、そうきたか?”と相手がしゃべりたくなるような質問をしないと、言葉を返してくれないんだ。でもそれができたら、いろいろと話してくれるんだよね」

なるほど。これが優れたディスカッションを生み出すためのスタートなのだ。

質問をするというのは、自分がよくわからないから相手に考えることをゆだねて、教えてくださいねと頼むことではない。

「自分はこの件に関してこのような解釈をしていて、こうした見解があることもわかっている。ではあなたの視点からみたら、このテーマをどのように取り扱うのだろうか?」

つまりディスカッションとは意見のぶつけ合いではあるけど、それは言いたい放題というわけではなくて、相手の話を聞き、視点を知り、考え方を知り、それに対して自分の意見を述べるというやり取りの積み重なりなのだ。

だから良い質問をする人をこちらの人はすごく褒めるし、とても気に入る。なるほど、その入り口で話に入るんだね、とニヤッとする。

よく海外に行くと「我を出さないとだめ」とか、「郷に入っては郷に従えで現地人のノリで会話をすることが大事」という話があるが、もちろんそうした側面もあるけど、それ以上に適切で刺激的な質問ができる、あるいは相手が”うぉ、そうきたか”と唸るような切り替えしができる方が大事だと思うのだ。

多く話せばいいわけではなくて、大事なことをぴしゃっと正しく言える能力を持つ人は、チームビルディングにおいても重要な存在として重用されているし、たぶん僕もそこを認められていると感じている。

▼ 質問力を磨いて、新しい景色を楽しもう

相手がどう返してくるのか、どんな反論をしてくるのかを想定しながら、話をうまく進めていく人がいる。それはそれでもちろん素晴らしいスキルだ。でもそれどまりだと結局、筋道ありきの一方通行で終わってしまわないだろうか?

そこを崩していくと面白い話ができるし、なにより双方にとって実り多き学習機会になる

先ほど挙げたドイツやオーストリアの指導者の方々はみんな、とてもオープンに自分の意見や考え方を明かしてくれる。クラブ内部に関することでもよっぽどのことではない限り、さらっと話してくれる。

だからこっちもいろんな質問をぶつけられるし、それに対して相手が返す答えや逆にこっちに対して繰り出してくる質問や指摘に対して、瞬時に頭の中を整理して、さらに話を繰り出していく。

それはもうさながら格闘技のようでもある。言いすぎ感があるのはわかっている(苦笑)。

でもボルシアMGでアシスタントコーチを務めているレネ・マリッチも「ドイツにおける指導者育成で大きな役割を果たしているのはオープンなディスカッション文化だろう」といっていたな。

質問力を磨く。これは指導者としても、社会人としても大切な要素だと本当に思う。僕もいろいろと日本で講習会を開いているけど、「質問はございませんか?」「何を聞いても大丈夫ですから、どんどん積極的に聞いて下さい」といっても、やっぱりなかなかでてこない。

子どもたちに「ちゃんと自分で考えて質問しろよ」といっている指導者の方が質問ができない(苦笑)

それは、そもそものところで話を聞きながら、質問を考えるという習慣がなかったりするのも理由の一つだろう。だから「質問は?」と聞かれても、「え?」となってしまう。

いままでそうした習慣で暮らしてくると、いきなりは難しい。でも日常生活の中でちょっとずついろんなことに好奇心をもって、いろんな角度から眺めてみて、疑問を見つけ、質問を考える習慣をつけるのは大切なことじゃないかなと思うのだ。

なにより質問が浮かぶということは、これまでの常識では見えなかった新しい景色が見えてくるということなんだから、ぜひ楽しみながら面白くて、興味深い質問作りに取り組んでいきたいではないか。

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