ザルツブルクU16コーチの宮沢悠生が、大人も本気でサッカーをする現地で取り戻した解放感
▼ 宮沢悠生コーチ インタビューVol.1
1.FCケルンで大迫勇也と長澤和輝、そしてザルツブルクで南野拓実と奥川雅也の通訳を務めていた宮沢悠生さんに5月半ばインタビューをさせてもらった。
当初の予定では「通訳の彼の目から見た南野拓実の奮闘」というテーマでいろんな話がきけたら面白いかなと思って連絡を取らせてもらったのだが、最初は丁重にお断りをされた。
「南野選手の話は私の主観ではなく、選手に語ってもらうべきだと思うんです」
という言葉からは、彼がいかに関わってきた選手たちをリスペクトし、その関係性を大事にしてきたかを感じさせられた。
読者を意識して多くの方の興味を引けるテーマを決めることが悪いわけではない。素晴らしい記事もたくさんある。でも引きがいいことだけが目的になってしまうと、肝心の中身がぼやけてしまったり、真実から離れた表面的なことばかりが情報として流れてしまう。
だからこそ、彼の話を聞いてみたいと思った。
通訳としての存在が先に来てしまっていたが、宮沢さんはザルツブルクのU15ですでに指導者としてのポストを得ている方でもある。指導者としての彼の話もぜひいろいろと伺いたい。
こちらでインタビュー内容を再考した結果、「通訳としてどのような心掛けで帯同していたのか」「通訳という仕事をどのように解釈しているのか」「どんな仕事をしていたのか」など通訳関連のテーマと、「育成指導者としてのご自身の哲学」「ザルツブルクの育成哲学について」「オーストリアの育成に関して」など育成関連でのテーマとでインタビューに協力してもらえることになった。
こちらの方はそれぞれナンバーさんに寄稿させていただいき、多くの方に読んでいただけた。
大迫勇也、南野拓実らの“兄弟”に。宮沢悠生通訳の信頼構築術・前編。(中野吉之伴)#ブンデスリーガ #宮沢悠生 #南野拓実 #大迫勇也 #長澤和輝 #奥川雅也 https://t.co/ObeMgqzQtP
— Number編集部 (@numberweb) May 27, 2020
「欧州でも勝てる日本人指導者に」宮沢悠生通訳の信頼構築術・後編。(中野吉之伴)#ブンデスリーガ #宮沢悠生 #南野拓実 #大迫勇也 #長澤和輝 #奥川雅也 https://t.co/unexbCW5to
— Number編集部 (@numberweb) May 28, 2020
フッスバルラボでは今回から3度に分けて宮沢さんとのインタビューを全文公開したいと思う。
第一回の今回はドイツに渡ったいきさつ、最初のころにドイツで気づいた思い、そして日本へ情報を発信するうえで大事にしていることについてが語られている。
欧州のサッカーシーンで1人の日本人がどのようにサッカーと生きているのか。
感じ取れるものがたくさんあると思うので、ぜひ読んでいただきたい。
▼ 「サッカー指導者になるためには?」恩師からのススメでドイツ行きを決断
※インタビューは5月半ばにリモートで行われた。ドイツやオーストリアでは、新型コロナウィルス感染拡大に対する対策の効果が出てきたことで、様々な規制が緩和されてきた時期。
おはようございます。今日はお時間取っていただいてありがとうございます!今日は朝からミーティングだったんですね?
宮沢「オーストリアは(5月)18日から練習再開していいんですけども、アカデミーは。そのアカデミー再開に向けてのミーティングと、選手たちとの個人のミーティングしたりしてという感じですね」
どういう形で再開なんですか?
宮沢「プロとほぼ同じですね。ピッチに立っていい人数とか決まっていて、選手との距離とかの距離が決まっていて。個人、グループトレーニングという感じで、アウスダウアー(持久力)とか、テクニック中心の練習になると思うんですけど、そういう感じですね」
オーストリアではいつから活動中断してたんでしたっけ?
宮沢「(3月)23日からだったと思います。指令が出たのが23、24日だったかと」
その間、活動は基本何もできずだったんですよね?
宮沢「ほんとうに。チームでミーティングしたりとか、あとクラブのアカデミーチーフから自分たちのプレーフィロゾフィーについてもう一回やろうみたいな感じで。それをオンラインで話した以外は、ほとんど何もなかったですね」
なるほど、やっぱりどこもそういう感じですよね。。。さて、今日なんですけど、メールでも簡単に書かせてもらいましたけど、宮沢さんが通訳としてやられているときの話と、あとは育成指導者と指導者としてのところでお話を伺えられたらと思っています。
僕はこういうライター業をやっているんですけど、ドイツの方でA級ライセンスまで獲得して、フライブルクのフライブルガーFCというクラブでU13の監督をしています。ケルン界隈に指導者の知り合い・友達が何人かいまして、先日も浜野裕樹君(ブンデスリーガ3部ビクトリアケルンのアナリスト)と似たような感じでインタビューをさせてもらって。
宮沢「あーーー、はい、浜野の記事、見ました。最初のコラムは読みました。あれか」
そうなんです。浜野君から宮沢さんの話を聞いてたりもしてたので。浜野君とは長いんですよね?
宮沢「そうですね、もう知り合って10年くらいになりますね」
それは長いですね。ではまず最初は宮沢さんの簡単な経歴というか、ドイツに来る前に日本でどういう感じで、どうやってドイツに来てというところからお話ししてもらっていいですか?
宮沢「僕はプロとかかすりもしなかったので、高校卒業して、滋賀のびわこ成蹊スポーツ大学にいって。そこで4年間、部活をしながら指導者の勉強をしたいなぁとずっと思っていて。
最初は学校の先生になるためにそこのびわこ成蹊スポーツ大学に入ったんですけど、学校の先生となると仕事の一番の目的は教育の方だなと。
(仕事の一番の目標がそれだと)サッカー指導者じゃないのかなと思って、大学の教授、松田保先生というのが僕の恩師なんですけど、松田先生にそうだんしたら、『海外に行ってみたらどうや?』と話をもらって。
本当にポンポンと海外に行くことを決めましたね。大学卒業して9月ぐらいまでバイトを3つくらい掛け持ちしながらお金を貯めて、2008年の9月にドイツのケルンに行きました」
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