中野吉之伴フッスバルラボ

ドイツここ最近の日常風景。生きる力を磨いていきたい。輝かせてみせよう。

▼ ドイツ便り Vol.1

「コロナウィルスの影響で」

ここ最近はこの導入で原稿を書くことが増えてきているなぁとふと思った。しょうがない。そういう時期だ。事実私にしても影響はもろに受けている。ブンデスリーガやCL、ELといった試合が中止されれば取材にはいけない。取材にいけないと予定していた原稿もかけない。原稿を書けないと収入もガクッと減る。

どうしよう。そんなのが頭をぐるぐると回っていた時期もある。いまはほかの企画をいろいろと考えて、原稿化できるようにと動いている。いくつかオッケーも出た。ありがたい。できることを一つずつやっていく。気持ちが縮こまってしまうのが一番よくない。どんなときでも。

ドイツのサッカー界はどうなっていくんだろう。現時点でドイツサッカー協会とドイツリーグ連盟は1部、2部ともに4月2日まですべての試合開催を、3部リーグは30日までの延期を発表。

アマチュアサッカーは各州協会がそれぞれの地域の状況に応じて対策を練っているが、ほぼすべての地域で4月17日までトレーニング、試合をふくむすべての活動を中止という通達が来ている。

私が暮らすフライブルクでは今日付けでクラブのスポーツ施設の使用も禁止となった。昨日まではまだ子どもたちがグラウンドに少人数で集まって自分たちで少しミニゲームをすることができたが、それもしばらくはできなくなる。

もしこのままブンデスリーガがシーズン途中で中止となってしまったら、経済的な大打撃になると報じられた。テレビ放映権収入と入場者収入がなくなることによる損失はリーグ全体で総額7億500万ユーロ(日本円で約900億円)にも上るという。

特にデュッセルドルフやフライブルク、マインツといったリーグ全体から見たら小規模経営のクラブは主力選手の放出だけでは立ちいかないぐらいの相当のダメージを受ける。

そんな時にドルトムントの代表取締役ハンスヨアヒム・バッツケがテレビで経済危機が小規模クラブに訪れた場合、ビッククラブが救済措置をすべきかどうかという質問に対して、「ありうるかもしれないが、我々はそれぞれ経営基盤を持つ企業でもある。正直に言えばライバル関係にもある。何が競合対象のもので、何がそうではないのかを見分ける必要がある」と持論を展開。

これにデュッセルドルフ代表取締役トーマス・レットガーマンがかみついた。

「なぜ今そんなことを言うのかがわからない。タイミング的にも内容的にも間違いなくふさわしいものではない」

時期が時期だけに、不要な発言は余計な緊張感を生むだけだ。バッツケが言わんとすることもわからないでもないが、1クラブの存続だけの問題ではなく、ドイツサッカー、ヨーロッパサッカーが今後どうなるかを考慮しなければならないのだから。そうしたギスギスは今は要らない。

ひとまず今夏予定されていたヨーロッパ選手権が来夏に延期されたことで、スケジュール的な余裕は間違いなく生まれた。まだ予断は許さない状況だけど、基盤はいつだって大切にされなければならない。

来夏開催予定だったFIFAによるクラブW杯も再考すべき時期だと思うのだ。ビジネスモデルありきではなく、私たちがなぜサッカーに熱狂するのかをもう一度改めて考えなければならないのだ。

▼ 混乱はないけど制限は増えてきている日常生活

日常生活レベルではどうだろうか。ドイツで暮らす私たちの生活にはどんな影響を及ぼしているのか。子どもたちが集中しそうな遊具のある公園も今日から一時封鎖状態になった。

ある程度以上の広さがある広場や広域公園はほかの人との距離を気をつけながらであれば散歩をしたり、家族で遊んだりすることはできる。

私も昨日は息子ズと一緒に広場でちょっと野球をしてサッカーをして遊んだ。天気はすごくいい。すごく晴れ晴れとした気持ちにもなった。花見にも行った。フライブルクは愛媛県松山市と姉妹都市なので、市内に結構立派な日本庭園があり、桜の花が咲く。

毎年ここで私たちはお花見をする。嫁さんの実家から送られてくる材料で桜餅を作り、お茶をポットに詰めて、自転車で。心の奥底にちょっとだけ変んな感じが残るのが残念だけど、それでも笑顔でのんびりとできる時間はいつどんな時でも貴重なものだ

そしてこうしたときだろうと、悪ふざけをして子どもが怒られるということも普通にある。息子よ、石は小石でも人のいる方に投げてはダメなのだ。

バイエルン州ではレストランやカフェなどは6時から15時までだけ営業可能。それ以降はお持ち帰り飲みが販売許可が出ている。スーパーマーケットや薬局といったお店は通常稼働。

ちなみに買いだめをドイツ語でHamsterkaufという。ハムスターカウフ、直訳するとハムスターのような買い方を意味し、ハムスターが口いっぱいに食物を詰め込むように、たくさんのものを一気買いするときに使う表現だ。言い得て妙。

先週までは普通にどの食品も商品も購入できたが、月曜日にお店に行ったら小麦粉、牛乳、卵、パスタの類の棚はがらんとしていた。ただでさえ月曜日は週明けでみんなが多めに買い物をする曜日。そこに今回の騒動が重なったのだから致し方ない。水曜日の今日、嫁さんが買い物に行ったら牛乳は普通に入荷されていた模様。物品流通は止まっていないのだから、時間差はあれど、そのうちまたすぐに通常通りになるだろう。

▼ 学校もお休み。子供は子供なりに考えてくれている。

今日はインタビュー企画でシュツットガルトへ向かっている。車内は普段と比べて明らかに乗客が少ない。みんな自粛しているのだなぁと思う一方で、こうした事態でも移動が必要な人たちは間違いなくいて、その人たちのために働いている人がいて。スーパー関連の人たちもそうだし、交通関係の人たちもそうだし、社会の動きを抑制しながらも、止まらないように支えている人たちがたくさんいるのだ。それをとても感じている。

今日、EU委員会委員長のウルズラ・フォンデアライエンは「専門家以外、私たちはみんなこの危機を過小評価していた」と自分たちの誤りを認めた。そんなに危ないものだとはみんな思っていなかった。普段通りに生活して、普段通りに握手して、普段通りに仕事をして、普段通りに練習をする。

多くの人は手洗いをしっかりしたり、不用意な接触を避けたり、少しでも風邪かなと思ったら休んだりとしていたけど、そうではなくて、「大したことないでしょ」と軽く思っている人も相当数いたし、今もいると思う。だから規則で縛る必要が出てくる。そこまでしなきゃいけない事態になったということだ。

長男も次男も4月半ばのイースター休暇が終わるまでの5週間、学校は休みになった。授業の代わりに家庭学習。毎週担当の先生からメールで課題が送られてくる。友達と遊びたい。でも今は我慢しなきゃいけない。でも2人でだったら遊べるかな。3人までは大丈夫かな。子供は子供なりに現状を理解して考えている。遊ぶなら遊んだで、そのあとすぐに手洗いをしっかりするとか、不要に危ないことはしないとか(それはいつでもダメなんだけど)、いまを過ごそうとしている。

▼ 笑顔の種を探していこう

私も自分を、そして自分たちを見つめ直すいい機会だととらえている。自分の生き方、自分の働き方、家族との時間のとり方、子どもたちとの関わり方、嫁さんとの時間の使い方。スケジュール管理が追い付かなくなっていたこともあったので、この時間を有効活用して、うまくすべてを調整していきたい。フリージャーナリストとしての書類手続き早急にしなきゃだし、確定申告の準備を今からやっておくチャンスでもある。

とはいえ人間はどこかで甘えが出てしまうものなので、ちょっと休憩のつもりで無料公開されているワンピースを読みふけっちゃうこともある。その日、原稿を夜な夜なまとめて書き上げたので、翌朝起きるのが遅くなってしまい、「ワンピース読んで寝るのが遅くなるって」と嫁さんにチクリとされたけど。ごもっともすぎるので、すぐに謝った。でも、ウソップ海賊団のくだりはキリのいいところまで読まなきゃなのだ。何度読んでも号泣できる。うん。

チームの子どもたちにできることはなにかなと、アシスタントコーチのマヌとちょっとした課題を考えている。マヌはリフティングしながら計算したり、生きた技術になるようなリフティングのやり方を動画にとってちょっとずつチームチャットに送ることに。

私の方からは子どもたちに「自分で練習メニューを考えてみよう!」という課題を出すつもりだ。テーマと条件をこちらから定めて、実際に自分でメニューを考案してもらう。面白かったり、実用的なものは実際にトレーニングとして採用し、コーチ役もやってもらおうと思っている。自分のアイディアだが、これ結構面白いものが出てくるんじゃないかとワクワクしている。

今はいろんな生活が少しずつ制限されて、少しずつブレーキがかけられて、それぞれが一蓮托生のような雰囲気が生まれてきて、ちょっとずつ窮屈で、ちょっとずつ不安になって、でも私たちの毎日は確かに続いていく。油断や軽率は避けなきゃいけない。でも必要以上に大げさに受け取ることもまた違う。知恵を振り絞るチャンスでもあるし、その中で笑顔の種を探していきたい。

生きるという力は、磨けばどんどん輝いていくのだ。

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