中野吉之伴フッスバルラボ

モラス「日本の武器でよく『勤勉、組織的に、みんなで、走り抜いて』というけど、でも、それは他の国も普通にやっている」

 ▼モラス雅輝さんとの話で必ず話題に上がるのがフォルカー・フィンケだ。

 モラスさんは浦和レッズ時代に彼のもとでコーチとして活躍していたし、私はSCフライブルクで研修を受けた経歴もあるので、クラブスタッフからフィンケのすごさをこれでもかと耳にしている。

2000年代初頭、ドイツ中のブンデスリーガ・クラブがドイツサッカー協会によるタレント育成プロジェクトの一環として『育成アカデミーの義務化』されるずっと前に、フライブルクはクラブの方針として『育成クラブ』としての立ち位置を取る覚悟を決めていた。そして、施設として目星をつけたライバルクラブのフライブルガーFCからスタジアムと練習場を買い取ったのだ。育成アカデミーのために。一人の選手に多額のお金を投じてその選手の活躍にかけるのではなく、しっかりと整えられた育成施設、育成指導者、育成環境を選手に準備する。フィンケは常々こう口にしていた。

「選手を作り上げるなんてことはできないんだ。大事なことは、彼ら選手が成長をしていくという点を忘れないことだ。我々指導者が彼らを成長させるわけではない」。

本当にその通りだと思うし、様々なレベルの、様々なカテゴリーの、様々な関係者にこれまでいろんな話を聞いてきたが、ほぼすべて同じような意見を持っている。でも、ひょっとしたら日本では勘違いをしてしまっている指導者も少なくないのではないだろうか。指導者のあり方を間違って捉えてしまっている。だからだろうか。

「私たちが○○を育てた」

「ここからJリーガーを生み出す」

そんな言葉を口にしてしまう。これはおごりでしかない。生み出したクラブ・指導者がすごいのではなく、成長した選手がすごい。一人の指導者、一つのチーム、一つのクラブで育成すべてを行うことはできない。だから、地域全体、国全体として、彼らが無理なく成長できる環境を整えてあげることが重要なのだ。クラブや指導者が評価されるべきはそこでの関わり方についてだろう。天才少年がそのまま天才プレーヤーになれるかどうかは誰にもわらない。むしろ、多くはどこかで消えてしまう。その事実から目を背けてはならないのだ。

では、モラスさんとのインタビュー第二弾をお楽しみください。

中野「モラスさんとフィンケさんの最初のコンタクトってどんな感じだったんですか?」

モラス「僕は1995年にドイツに渡ったときから別に熱狂的なファンというわけじゃないですけど、すごくフライブルクに興味があった。当時、ドイツに渡ったときに読んだ雑誌とかでも、フライブルク特集みたいなのがちょくちょくあって。当時なんかもっとお金がない時代じゃないですか。本当にお金がない中で、他のチームみたいにブラジル人やアルゼンチン人じゃなくて、チュニジア人とか、普通ブンデスリーガのチームがスカウティングしていない国から選手を獲っていった。そういうことですごく興味がありました。だから、僕がフィンケのことを一方的に知っていた。僕はインスブルックのクラブの人ともよく会っているけど、2003年くらいかな? インスブルックはフライブルクをモデルにするべきだっていうことをいつも僕は言っていて、でも、本当にこうやって直接知り合ったのは浦和ですよ。10年前だ」

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