中野吉之伴フッスバルラボ

熊本震災地でチャリティイベント。決意を持って行動を起こし、心でつながり合うことが子どもの笑顔につながっていくと信じて

▼私の手元に一つの写真集がある。

多分、お金を出して初めて買った写真集だ。

「南三陸から 2011.3.11~2011.9.11」(写真 佐藤信一)

僕は東日本大震災の被災地である南三陸町志津川へ2015年1月と昨年6月の2度訪れている。そして、2度目の訪問時に復興商店街にある佐藤さんの写真スタジオでこの写真集と出会った。

被災前の南三陸の美しい風景で始まるこの写真集には、津波の惨劇をありありと伝える写真が続き、その後にそんな悲しみと苦しみに襲われながらも、復興に向けて歩んでいこうとする人の、温かさと慈しみと力強さを伝える写真があふれていた。ページをめくりながら、自然と涙がこぼれていた。

あの感情をどう表現すればいいのだろうか。私にはわからないし、言葉にできるものではないのかもしれない。それでもあのとき、あらためて心に思ったことがある。

僕たちはわかっているつもりで、わかっていないことがたくさんある。
知っているつもりで、知らないことがたくさんある。
どこかで勝手に物語の終わりを作ってしまっていないだろうか。
まだ何も終わっていないのに。

目を向け続けなければならないものがある。
耳を傾け続けなければならないものがある。
足を運び続けなければならないものがある。
自分には関係ないこととシャットアウトしてはダメなのだ。

自分から動けるなら動こう。

だから、僕は1月の一時帰国時に熊本に行きたかった。熊本地震が起きて1年9か月。そこでも何かできることを探したかった。それで以前、講演会に参加してくれた参加者が熊本出身だったことを思い出し、「無償でサッカークリニックや指導者講演会などをやれたらと思うのだが、どなたか紹介していただけないだろうか」とお願いしてみた。

すると、一番被害が大きかった益城市にあるサッカークラブ、FCビックウェーブ代表の梶原一泰さんとつないでくれた。その後、あちらから「子ども向けのサッカークリニックと保護者向けの講演会をしてもらえないか」と打診があったので、喜んで引き受けさせてもらった。いつもながら、こうした人の縁のありがたさには感謝の思いしかない。

当日ホテルまで迎えに来てくれた梶原さんの車で益城市に向かっていると、急にきれいな建物が立ち並ぶエリアを通った。「このあたりの建物は全部新しいでしょう。地震で壊れちゃったからなんですよね」と梶原さんが教えてくれた。

そういえば夏に訪れた岩手県釜石市にもこうした場所があった。新築の家々。それはここが一度壊滅状態になったことの裏返しでもあるのだ。心がざわつく。

ふと、前日に熊本城の周りを歩きながら考えていたことを思い出した。

どれだけの苦しみを目の当たりにしても、絶望感にさいなまれることがあったとしても、僕たちはまたそこから立ち上がり、歩き続けることができる。

なぜ、できるのだろうか。なぜ、人間はそうも強くあることができるのだろうか。

その答えとなるであろうキーワードを、僕は南三陸を訪れたときに手にした冊子の中で見つけていた。

「苦しい思いは十分にした。でも、子どもたちにはここを苦しい思いをした場所として思い続けてほしくない。また、笑顔で生活できるようにしてあげたい」

それは生きるものとしての願いだ。誰にでも過去を嘆き、いまに迷うことはある。悲しさも悔しさもやるせなさも、飲み込むしかないのかもしれない。それでも、私たちは明日を信じていたい。その明日が光りあるものになるためには今踏み出す一歩が、力になる。

明日への光。それこそが、子どもたちの笑顔ではないだろうか。

彼らが「未来」へ希望を持てるように。
彼らが「いま」を楽しむことができるように。
彼らが「過去」から学ぶことができるように。

そして、そのための行動は間違いなく、僕たち大人自身への活力にもなる。だから僕のこうした活動もそこへ向かっているのだと思う。

▼ サッカーがつなぎ合わせる力

グラウンドにつくと、子どもたちはもう集まっていて、思い思いにボールを蹴っていた。準備を終えた僕は練習の段取りをもう一度頭の中で復唱してから、子どもたちの前に立った。一度も「大変だけど、頑張ってください」と口にしなかった。言われなくても彼らはもう頑張ってきている。そうではなく、僕はほんのちょっとでもの力になるものをもたらしたかった。

「今日はみんなでサッカーを楽しもう!」

そう声をかけて70人以上の子どもたちと一緒にサッカーをすることを心掛けた。幼稚園児から小6まで全員一緒に笑いながらアップをした。練習に移っても大きなグラウンドを走り回りながら、できるだけのコーチングをした。

すべてうまくできたわけではない。オーガナイズ上の不手際だってあっただろう。こちらの力不足を嘆きたいところも正直あった。

でも、子どもたちの笑顔がそこにあった。
キラッ、キラのオーラ全開の笑顔が。

当初の終了予定時刻が過ぎても誰も終わろうとしない。「もっともっと!」「まだまだ!」。笑顔がそこらじゅうで見られる。でも、みんなサッカーに一生懸命だ。プレーをサボる子なんてどこにもいない。まわりのコーチも誰も止めようとしない。止められるはずがない。終わってほしくないのだ。

これが子どもたちのもつ笑顔の力だ。
どんなことでもできると信じられるだけの力をくれる。

人は一人ですべてを変えることはできない。起こってしまったことを何とかすることもできない。でも一人の子どもの笑顔が周りの100人の大人を幸せにできる。少しの時間でも無邪気に楽しめる子どもが、一人ずつでも増えてくれば、それはどんどん膨れ上がって、つながりあって、深まりあって、ものすごく大きな力になるのだ。

サッカーには、それだけの可能性がある。

そのための光を灯し、灯し続けるための手助けをしていきたい。いろんなところで。一度訪れたらそれでおしまいではない。必ずまたうかがう。可能な限り、何度も。

▼ 人の絆、人の縁

とはいえ、一人でやるのにも限界がある。だからいろんなところに足を運びながら、志を同じくする「友」と知り合い、結びつき、つながりあい、支えあうことが大切なのだと思っている。

梶原さんも言っていたが、被災したときに交流のあるクラブから次々と補給物資が届いたそうだ。トラックに大量の食材を積み込んで、駆け付けてくれた人もいたという。サッカーが紡いだ本物の縁。それは何にも負けない強靭でしなやかで温かなものなのだ。

冒頭に紹介した佐藤さんの写真集カバーに心震えるすばらしい言葉があったので、最後にそれを引用させていただければと思う。

「あの日以来、多くの人たちが南三陸を訪れて、心を繋いでくれています。本当に心から感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。私は町の小さな写真屋の二代目。皆さんに支えられて今日まで頑張ってこれました。

先日、私の撮影した昔の街並みの写真を見てた方が泣いていた。ガレキの中から探し出した一枚の写真を私に見せ、「これでまた生きて行けるよ」と大切に胸にしまった人もいた。ホント写真の力ってすごいなと感じた。私の店も家もすべて流されたけど、この町に生かされた写真屋ができる事。それはやはり写真で恩返しすること、そう強く感じています。

写真はありのままを写す。時につらい場面も写し出す。

だから喜びも悲しみも心を込めてシャッターを切ろう。そう心に決めました。かけがえのないふるさとと人々の心の強さ、あたたかさを伝える為に。

今を写せば未来へ繋がる。写真の力を信じて…

頑張ろう南三陸 佐藤信一」

佐藤さんは「写真の力はすごいな」と語られている。でも、私は思うのだ。その写真を撮ろうとして、撮り続けた佐藤さんもすごいのだ、と。苦しみや悲しみとも向き合い、真実を問いかける。だからその写真からは、人々の心の強さ、温かさもとても伝わってくるんだ。

佐藤信一さんの写真集より

人はそれぞれのフィールドで生きている。そして、それぞれのフィールドでできること、それぞれのフィールドだからできることが必ずある。大人じゃないと、何らかのポジションにいないと何もできないわけではない。自分で決意し、その決意と向き合えるかどうかだ。

今回は被災地訪問をテーマに書いたが、そうではない地を訪れるときも僕の思いはいつでも一緒だ。

子どもたちの笑顔のために。
それを生み出す存在としての指導者や保護者に一つでも有益な情報を届けるために。そして、そうした活動を通して僕自身が生き生きといられるために。

僕も自分のフィールドでできることに挑戦し続けていきたい。佐藤さんのように「人々の心の強さ、温かさ」を感じ取り、それをつなぎ合わせていけるように。ドイツで、そして日本で。

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