川本梅花 フットボールタクティクス

無料記事【私的信条告白コラム】「サッカー批評Web」で記事を書きました

【私的信条告白コラム】

「サッカー批評Web」で記事を書きました

こんにちは川本梅花です。

「サッカー批評Web」ではじめて記事を書きました。3月25日に公開されています。3月21日のFIFAワールドカップ・アジア予選2次予選の日本対北朝鮮戦でのGK鈴木彩艶選手のプレーについての分析をしました。分析を担当したのは、山野陽嗣 ( @yoji_yamano )くんで、彼はホンジュラスU-20のGKコーチをはじめとして、約5年間、浦和学院高等学校のGKコーチをしていました。今季から関東サッカーリーグ1部に所属する南葛SCのU-18のGKコーチを務めています。以下が「サッカー批評Web」での記事になります。

「日本代表ゴールキーパーは【鈴木彩艶】で大丈夫か」GKプレジャンプ着目の南葛GKコーチが「日本VS北朝鮮」検証(1)失点を防いだ「絶妙ポジショニング」編

「日本代表ゴールキーパーは【鈴木彩艶】で大丈夫か」GKプレジャンプ着目の南葛GKコーチが「日本VS北朝鮮」検証(2)試合の流れを変えた「些細なワンプレー」編

3年ぶりにサッカーメディアで執筆したのですが、そのあいだ何をしていたのかという話はおいおい本コラムでしていきます。まずは、「サッカー批評Web」の話をします。雑誌の「サッカー批評」が廃刊になって、Webで「サッカー批評」を続けるという話を双葉社の編集部からうかがったのが3年前になります。その立ち上げに参加することになっていて、実際にサッカー関係者3名にはインタビューを終えて、記事作成に取り掛っていました。そんな時に、僕にあることが襲いかかってきたのです。先に述べた「おいおい」とはこのことを指すのですが、結局、僕は3年近く沈黙することになります。

僕がサッカーライターになろうとした動機の一つは、雑誌「サッカー批評」で書きたいという欲求からでした。その時は、僕はジュネーヴィ大学の博士課程に留学していたんですが、日本から「サッカー批評」を送ってもらって、雑誌の中にある活字すべてを何度も読み返しました。雑誌のスタイルが好きだったんです。「批判」ではなく「批評」するというスタイルが好みだったのです。当時は「批評精神」がある記事が掲載されていたので、とても刺激になりました。

日本に帰ってきて、すぐに出版社にむかいました。雑誌「サッカー批評」の出版元は双葉社ですが、制作は「カンゼン」という出版社が営んでいることを知って、カンゼンに連絡をして編集長の方と会うことになりました。そこで僕が提案したのが、現水戸ホーリーホックGMの西村卓朗くんを主人公にした「哲学的フットボーラー 西村卓朗を巡る物語」だったのです。編集長が「西村さんが現役を引退するまで続けましよう」と言って下さったことを覚えています。実際に、西村くんがコンサドーレ札幌で引退するまで連載は続きましたからね。

西村くんの連載が終わって、次にはじめたのが田中順也くん(前FC岐阜)のノンフィクションでした。こちらも連載となったのですが、ちょうど双葉社がカンゼンに「サッカー批評」を返して欲しいとの依頼があって、委託契約をしていたカンゼンが渋々手を引いた形になりました。実は、両者の間には正式な契約書が存在しなかったというオチがあるのです。カンゼンとした「しょうがなく」という形だったのでしょう。その後、カンゼンは新たに「フットボール批評」を創刊して双葉社の「サッカー批評」に対抗したのです。

僕は、田中順也くんの連載を続けるために「サッカー批評」にそのまま記事を載せることにしました。カンゼンから「新雑誌を立ち上げるので連載をそこで続けてくれないか」と打診されたのですが、もうすでに双葉社で連載すると決まっていたので、カンゼンの方の話は断りました。その後、僕は雑誌「サッカー批評」で連載以外の記事も毎号書くことになったのです。そしてしばらくして、雑誌を廃刊してWebで継続する旨の話をされたので、僕は協力することにしました。あれから3年が経つことになるんですね。僕にとってはとても長い時間でした。

ところで、3月20日の町田対鳥栖戦を取材観戦します。もちろん、「サッカー批評Web」で公開されて、試合分析がメインになる記事です。町田の「天空のスタジアム」は水戸戦以来です。ずいぶん時間が経ってしまいました。記事が公開されたらお知らせします。ではまた。

川本梅花

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