J3番記者座談会LIVE(J論)【4/17(木)21時】

宇都宮徹壱ウェブマガジン

「仲間」を見捨てなかった2011年のJFL ソニー仙台FCの活動停止と退会に寄せて

 927日、ソニー仙台FC2024年末をもって、1968年から続けてきた活動を終了。この日、JFLに退会届を提出したことを発表した(公式HPからのリリースはこちら)。これを受けて、さまざまなハフカテ(ハーフウェイカテゴリー)ファンが反応していたが、個人的に深く同意したのが、吉田鋳造さんのこちらのポスト。

 鋳造さんが指摘するとおり、ソニー仙台は1997年の地域決勝で優勝し、翌98年に旧JFL(ジャパンフットボールリーグ)の最後のシーズンに参加。当時のJFLは実質2部のカテゴリーであり、東京ガス(現・FC東京)や川崎フロンターレや大宮アルディージャなど、のちのJクラブとリーグ戦で戦ってきた(この時の成績は16チーム中13位)。

 そして1999年、J2の新設に伴い、旧JFLは発展的解消。9クラブがJ2に吸い上げられ、ソニー仙台を含む8チーム、そして特例での参加が認められた横浜FCを加えた9つのチームとクラブが、新たに設立されたJFL(日本フットボールリーグ)に参加する。以来、今季までソニー仙台はアマチュア企業チームとして、JFLでのたゆまぬ活動を続けてきた。

 第26JFLメンバーのうち、第1回大会から参加してきたのは、Honda FC、横河武蔵野FC(当初は横河電機サッカー部)、そしてソニー仙台のみ。この間、幾多のJを目指すクラブが駆け抜けていく一方で、活動停止などによる退会も相次いだ。合併統合を除けば、ソニー仙台は10チーム目のJFL退会となる。

 Honda FCのように、何度も優勝しているわけではない。武蔵野のように、とりわけ身近な存在だったわけでもない。それでもソニー仙台は「いつもJFLにいてくれる」存在だった。それだけに喪失感は計り知れないのだが、過去に一度だけ、存続の危機に見舞われたのが2011年シーズン。そう、東日本大震災があった年だ。当時の記憶が薄れつつある中、この機会に振り返ることにしたい。

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