【無料公開】地元の歯科医が発起人となった理由 能登復興応援チャリティーマッチ開催秘話<1/3>
■難航した資金集めと意外な方面からの支援
──つまり、開催日ありきで進んでいったと。決まったのはいつですか?
小島 1月の半ばです。つまり、開催の3カ月前ですよ。「普通、そんなのあり得ない!」って、いろんな人から言われました。ただ、スタジアムは確保できたし、代表OBの皆さんからも続々と「参加したい!」という声が集まったんですよ。会場とメンバーの目処はついたんですが、ここで問題となったのが費用の調達でした。
──そうですよね。どうやって集めようとしたんですか?
小島 最初は、某広告代理店にスポンサー探しをお願いしていました。代理店の方から「これは素晴らしい企画だから、ぜひ冠スポンサーを付けましょう」と提案されたんです。具体的な企業名を出してきて、いろいろ細かい話もしていたんですよ。「サインボールはいくつ用意できますか?」とか「ユニフォームのデザインはどうしますか?」とか「キャンペーンのTシャツの納期はいつにしましょうか?」とか。
──それで、どうなったんですか?
小島 ある時から、しばらく連絡が取れなくなって、しびれを切らして電話したんです。ようやく連絡が取れたのが(3月)18日。いろいろ言い訳された挙げ句、ゼロ回答でした。
──え、ゼロ回答ですか?
小島 想定していたスポンサー料の半分とか、3分の1とかじゃなくて、ゼロ。ものすごく絶望的な気分になりましたね。二股をかけるのは失礼だと思って、その代理店からの提案1本で考えていたので、この時は頭が真っ白になりました。あとから「広告代理店なんて、そんなもんですよ」とか「小島さんは人が良すぎる」とか言われましたが(苦笑)。
──いやいやいや、小島さんはもともと歯医者さんなんですから(笑)。そこからどうやって、開催実現が見通せるまで、資金を集めることができたんでしょうか?
小島 星稜高校で本田圭佑くんと一緒だった、橋本晃司という元Jリーガーがいるんですよ。明治大学から名古屋グランパスに入って、鈴鹿ポイントゲッターズで現役を終えているんですが、実はアメリカのオレンジカウンティSCでもプレーしていたんですね。カルフォルニアにあるクラブなんですが、現地でビジネスをしている日本人とつながりがあったんですよ。それで 晃司を通じて、カリフォルニアの経営者の方を紹介してもらったら「ぜひ応援したい」と即答していただきました。
──それは良かった! それにしても、能登から遠くはなれたカリフォルニアにまで、支援の輪が広がったというのはうれしい話ですね。
小島 そうなんですよ。応援を申し出ていただいた方は、日本の伝統工芸なんかをアメリカに輸入するお仕事をされているんです。生まれも育ちもアメリカですが、日本文化にものすごく強い思い入れがある方です。それでスポンサーになっていただくことになり、まだまだ金額は足りていなかったけれど「何とか行けるだろう」と思って、2月12日にチャリティーマッチの記者会見を開催しました。
──2月12日というと当初、代表OBを招いてのこけら落としを考えていた日ですよね?
小島 そうです、まったくの偶然。これはもう、神様が仕組んだとしか思えないですね(笑)。
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