宇都宮徹壱ウェブマガジン

【告知】新著のタイトルは『フットボール風土記』 『徹壱堂』にて、著者サイン入り書籍を直接販売!※追記あり

なぜ、フットボール「風土記」なのか──まえがきに代えて

 風土記と書いて「ふどき」と読む。

 風土記とは何か? 辞書を引くと《奈良時代、地方の文化風土や地勢などを国ごとに記録編纂し、天皇に献上させた報告書。》とある。とはいえ、これは狭義の意味で、一般には《地方の歴史や文物を記した地誌のことを指す。》とのこと。

 では、地誌とは何か? さらに辞書を引くと《地理上の特定地域をさまざまな要素(自然、地形、気候、人口、交通、産業、歴史、文化など)を加味して、その地域性を論じた書籍。郷土誌。》とある。これだ。これしかない!

 かくして、本書のタイトルは『フットボール風土記』と決まった。

 ファンには周知のとおり、私たちの周りにはフットボールの情報が溢れ返っている。日本代表、Jリーグ、あるいはヨーロッパのリーグと、そこで活躍する日本人選手たち。ありとあらゆる情報が、試合終了直後から翌日にかけてインターネット上でアップされ、消費され、そして忘れ去られていく。その送り手のひとりとして、私自身、この業界で20年以上にわたり禄を食んできた。

 確かに、取材現場は楽しい。楽しいからこそ、ここまで続けてこられたのだと思う。しかし2020年、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が、すべてを激変させてしまった。そして、スポーツも移動も厳しく制限される中、私はこれまでの自分の仕事について、深く見直すことを余儀なくされた。

 日々刻々更新されていた、試合結果と順位表。目まぐるしく変化していた、選手の移籍や監督人事。それらが一斉に止まって、不気味な静寂が訪れた。その後、深刻なコンテンツ不足に陥ったスポーツメディアは、過去の名勝負やレジェンドたちの「物語」を掘り起こしては、蘇らせることに腐心するようになる。その突然の変わりようが、私にはとても奇妙に思えた。

 ここ最近のスポーツメディアは、世界中から集まってくる膨大な情報を、いかに効率よく取捨選択し、タイミングよく消費者に届けてページビューを稼ぐかに血道を上げてきた。そこに、余裕や遊びの要素が入り込むことは稀で、確たるニーズがなければ過去を振り返ることもなかった。次から次へと、新しい情報が更新されていったからだ。

 勝った、負けた、引き分けた。優勝した、昇格した、あるいは降格した。毎シーズンのようにドラマが繰り返され、新しいヒーローが生まれては消えてゆく。しかし一方で、それぞれのクラブには、それぞれの土地に根ざした重層的な物語も存在する。その物語には速報性はないものの、とても魅惑的で奥深く、さまざまな人々の思いと偶然で出来上がっている。

 こうした、フットボールと土地の物語を拾い集める仕事を続けてきて、かれこれ20年以上になる。ヨーロッパの辺境地で、そして日本全国津々浦々で。国内ではJリーグに所属するクラブも取材してきたが、最初はJリーグを目指す地域リーグのクラブを追いかけていた。

 地域リーグというのは、Jリーグ(現在はJ1、J2、J3)の下部リーグであるJFLのさらに下、全国9地域に分かれたリーグ(北から、北海道、東北、関東、北信越、東海、関西、中国、四国、九州)。さらにその下には、46の都府県リーグと、北海道の4つのブロックリーグが存在する。

 JFLは全国リーグなので、遠方のクラブがこちらに来てくれることもある。しかし地域リーグ以下となると、現地に赴くしかない。かくして全国メディアが取り上げることのない、それぞれの土地のフットボールをめぐる私の旅は続くこととなる。国内での地方行脚を始めたのは2005年から。このマイナーなカテゴリーに関する書籍も、本書が3作目となる。

『フットボール風土記』の説明に戻ろう。その名のとおり本書は、フットボールがある土地についての地誌であり、郷土誌である。カバーしているカテゴリーは、JFLと地域リーグに加えて、さらにその下の県リーグにも対象を広げた。

 本書では、Jを目指すクラブ、目指さないクラブ、両方を分け隔てなく取材している。ただし前作の『サッカーおくのほそ道』以上に意識したのが、クラブがよって立つ「土地」へのフォーカスであった。

 本書に登場するホームタウンは全部で12。北は帯広から南は宮崎まで、全国9地域をカバーしている。これに加えて、地域CL(全国地域サッカーチャンピオンズリーグ)、そして地域CL出場権が得られるトーナメント大会の全社(全国社会人サッカー選手権大会)についても、個別の章を設けた(ちなみに20年の全社はコロナ禍の影響で中止となった)。

 幸いにして、世界中のフットボールが再開に向けて動き出し、再びフットボールの情報が日々刻々と更新されるようになった。安堵すると同時に、中断期間中に重宝されてきた、不要不急の「物語」が一掃されてしまったのは、いささか残念に思えてならない。

 私自身はネットメディアで育てられた書き手であるが、これから披露する「物語」の数々はネットではなく、もはや書籍の中でしか存在し得ないのかもしれない。そんなわけで、まさに風土記の書き手になったような気分で、本書の執筆にあたった。

 なお、本書に登場する組織や人物の役職および年齢は、いずれも取材当時のもの。文中の敬称はすべて略したことを付記しておく。

<この稿、了>

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