ヴァイッドを貶める人、結果しか見ない人 「代表ウィーク」で露呈した根深い課題
ワールドカップ・アジア最終予選のラストマッチ、サウジアラビア対日本の取材を終えて丸2日が経過した。本稿を執筆している9月7日、私はようやく「退屈な街」ジッダを脱出。今はトランジットのアブダビに向かう機内にて本稿を書いている。
本当はできるだけ早く帰路に就いて、1日でも早く冷たいビールで喉を潤したかったのだが、試合翌日の飛行機が満席で料金の高いフライトしか空いておらず、仕方なくジッダでもう一泊することになった次第。もっとも、先に帰国した同業者によれば、巡礼から帰国する人々でジッダの空港は大混雑だったとか。出発をずらしたのは結果的には正解だったが、それでも出国審査には2時間も待たされることとなった。
さて、先週から続いた「代表ウィーク」も一段落して、このWMもまた「日常のフットボール」に戻っていくわけだが、本稿ではあらためて日本代表──というよりも、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督をめぐる言説について考察したい。この件については、オーストラリア戦を前にもこんなコラムを書いているが、その「後日談」あるいは「答え合わせ」と思っていただければ幸いである。
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