約束の地・フランスと「2004年の忘れもの」 あらためて考えるポルトガルの欧州戴冠
フランスから帰国して以降、ウェブマガジンのオープンや地方取材などで忙しくしている間にEURO 2016が終わってしまった。日本時間7月11日午前4時にキックオフとなった、フランスとポルトガルによるファイナルは、大阪のホテルでTV観戦。結果は周知のとおり、延長戦の末に1-0で勝利したポルトガルが、初のヨーロッパチャンピオンに輝いた。
下馬評が高かったフランスには、確かに気の毒な面が少なくなかった。開催国であるにもかかわらず、相手よりも休みが1日少ない中2日での決勝。しかも準決勝の相手は世界王者のドイツで、こちらのカードを「事実上の決勝戦」と見る向きも少なくなかった。加えてフランスとドイツ、さらにはイタリアやスペインといった優勝経験国が片側の山に固まってしまったこともあり(逆にポルトガルの山は優勝経験国がゼロ)、何やらポルトガルが「漁夫の利」を得たかのように見えてしまったのも事実である。
ポルトガルの決勝までの道のりもまた、いささか微妙なものであった。グループリーグは、アイスランド、オーストリア、ハンガリーと対戦相手に恵まれながらも3戦すべてにドロー。「成績上位の3位チーム」となってトーナメントに出場するも、ポルトガルの下には北アイルランドしかいなかった。ラウンド16以降も、90分での勝利は準決勝でのウェールズ戦のみ。しかも決勝では、クリスティアーノ・ロナウドが前半半ばで負傷退場し、今大会一度もスタメン出場がなかったエデルの公式戦初ゴールが優勝を決定づけた。
大会前、ポルトガルの優勝を予想していた日本のジャーナリストは、ほとんどいなかったと思う。そんな中、「今回は行けるんじゃないか」と期待を寄せている人物がいた。上智大学ヨーロッパ研究室所長で、ポルトガルサッカーに関する著書も上梓している、市之瀬敦教授である。ポジティブな予想を支えていた理由について、市之瀬先生はこう説明している。
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