【ゆきラボ】20年越しの夢、雪のプラハ!1月の家族旅行の話
こんにちは!1月最後のゆきラボ更新となります。今回のゆきラボは年始に家族で訪れたチェコの首都、プラハについて書きます。写真もたっぷり載せていきますよ!
日本からドイツに移住して半年ほど経った頃、2005年3月に夫と2人でウィーンとプラハを巡る旅をしました。風はまだまだ冷たかったですが、季節は春。当時書いた日記を読み返すと「次は雪が降っている時に来たい、プラハで雪景色が見てみたい」という一文がありました。
そこから20年。到着した日は雨でしたが、翌日の夕方からちらちらと粉雪が。日が暮れると、ライトアップされた歴史的な街並みとともに、幻想的な景色が現れました。
翌朝は綺麗に晴れ渡り、薄く積もった雪が青空の下でキラキラ輝いているところを高台から見渡すことができて、感無量でした。景色そのものの美しさもさることながら、見たい、やりたい、と思って言葉にして書き残したことが実現するって、しみじみと有難くて感慨深いものだなと思えた旅でした。
さて、ここからは「楽しい」「キレイ」とは別のプラハ旅の側面も書いていきます。20年前と比べて、今回は何がすごかったかというと観光客による想像以上の混雑です。まさにオーバーツーリズム。東京の人口密度に比べれば大したことない気もしますが、日本にいるときはなんとなく混んでいるのはデフォルトだと思っているので、人混みには慣れてしまってそれほど気になりません。ただ、ドイツで普段のんびりした街に住んでいると、たまにこうやって人気観光スポットに飛び込んでしまったときに、人の多さに本当に面くらいます。2005年と2025年、同じ場所で撮った写真が何組かあったので比較してみました。
2005年、観光名所カレル橋。夕焼けのきれいな時刻
2025年のカレル橋
2005年、カレル橋のたもとにある塔と広場
2025年、同じ広場で写真を撮っていたら人波にのまれて家族とはぐれました
2005年、プラハ城の大広間
2025年、プラハ城大広間。広間を自由に歩き回ることはできなくなっていて、列になって一方通行に壁沿いをぐるっと歩いて見学
2005年、黄金の小道。左側の青い家にはかつて作家フランツ・カフカが住んでいた
2025年の黄金の小道。カフカが生きていたら、ここではうるさくて仕事にならなかったのではと思う
お金と時間と移動手段さえ工面できれば、地球上のあらゆる場所の情報が手に入ったり、実際にそこへ足を運ぶことが可能な時代です。世界中どこでも、観光地と呼ばれている場所なら、観光客はほぼ平等にそこを訪れることができます。ヨーロッパの古い建物や街並みは、今でこそ毎日観光客で混み合っていますが、ごく少数のエリート層しか足を踏み入れることができなかった時代もありました。現代では、混雑で入場規制することはあっても、出自や学歴や職業で入場を拒否されることもなければ、個人の能力で入れるか入れないか審査されることもありません。
開かれた場所がいろいろなところにあり、多くの人が美しい景色や貴重な展示品を堪能することができる。それは間違いなく素晴らしいことなんですが、一方で、膨大な来訪者を受け入れつつ、その場所の良さを守り、良さを伝え続け、かつ治安や衛生面もキープしていくことは本当に並大抵のことではないな……と感じたプラハ旅行でした。
ただ、これだけ人出があるにもかかわらず、街並みが綺麗で、ゴミやタバコの吸い殻、食べ散らかしたスナックや犬のフンなどが道に落ちていないのはすごく素敵だなと感じたポイントです。地下鉄やバスの車内も清潔で、落ち着いて乗れました。
後半では、少しチェコの歴史の話にも触れます。
(残り 1930文字/全文: 3425文字)
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