【きち日記】夏の一時帰国②北海道から九州へ。0から1を作り出す大分での取り組み
▼ 難しいからやらないの?
一時帰国のたびにおかげさまであっちこっちで指導実践や講演会を開催させてもらえているからと言って、どこでも誰からも歓迎されているなんてことはない。
中にはきっと煙たがっている人もいるかもしれないし、僕が提言していることをうたがってるひとだっているだろう。以前のコラムでも書いたけど、「わかります!めっちゃその通り!」という人みんなが本当にこちらの意図や思いを明確にくみ取ってくれているわけでもない。
だから実際に足を運んで、現地でダイレクトに僕の言葉で伝えて、僕のトレーニングを見てもらって、僕の声掛けを間近で感じてもらって、という活動を積み重ねる中で、やっぱり信頼が生まれていくのだと思う。
そのとっかかりを作るのが難しい。
それこそ僕がどんな活動をしているのか、どんな思いで書籍や記事を書いているのかを知らない人が僕に怪しさを感じる気持ちもわかる。誰にとっても、普段の習慣から遠いものを受け止めることはたやすいことではないだろう。
実際に怪しいことを隠して活動している人だっているわけだ。僕はそうじゃないというのを証明するためにはそれなりのステップを踏む必要がある。
大分県に足を運ぶようになってもう3年になる。すぐに受け入れてもらえたわけではない。でも協力者の方の強い思いと、その先にある可能性を信じて取り組んでいる。
初めてのところで、初めてのことをやろうとすると、「それは難しいですよ」といわれる。「ここでは大変です」といわれる。そうなのだと思う。
でも「難しいから」「大変だから」なんなのだ?
難しいから、大変だからやらないのか?
そうではないはずなのだ。
難しかろうと、大変だろうと、やるべきことに確かな意義と意味があるのならば、やると覚悟を決めることが大事なのではないか。難しければ難しいなりに解決策を考えていけばいいだけだ。
うまくいかなければまた次の案を練って、次の協力者を募ってやっていく。そうした積み重ねが大きな動きになっていく。
普段ドイツで暮らす僕が日本で活動基盤を作るのはやっぱり簡単ではない。でも強い思いがあれば、そしてそこに確かな意義と信じるに足るエビデンスがあれば、僕らはどこまでも前に向かって進んでいけるのだと思う。
“安心してエラーができる環境”というのは、ありそうで、なかなか存在しない。
チームの指導者の数人ができたとしても全体で徹底していくには、
指導者の学びの環境にも同様に現場に立ちながら
エラーを安心して改善していける環境が必要だからだ。
日本人は、そこを苦手とする傾向がある。
ドイツをはじめヨーロッパとの社会的、教育的環境の積み重ねの違いが
育成期のフィールドの上に、未だ残っている。
子どもたちの順応は早い。
中野さんのような指導者との出会い一つで、感じた、気づいたことが、、
きっとその子たちの周りにも波及していくと、どこか確信している。(からだの動きLAVOブログ「エラーが起きるのが当たり前」より引用)
「子どもたちは、負けたくて負けているわけではないし、
失敗したくて失敗しているわけでもない。
子どもたちはいつも一生懸命やっている」と中野氏。一方、保護者の方も「過干渉でない方が良いとは判っていても、
なかなか自分が受けてきた教育の考え方が抜けない」
などの悩みを本音で語ったそうだ。2日目のクリニックのテーマは、大分会場と同じ
「認知・判断・コミュニケーション」。
参加する子どもたちの認知行動や判断場面を必然的に設定し、
意図的にエラー場面をコントロールしながら、
その場面場面に合った適切な言葉で解決の糸口を提供していく。
レベルの高い中野氏のオーガナイズを毎年学ぶことが、
より良いチームづくりに欠かせないと浦本監督。
(からだの動きLAVO「中津会場編」より引用)
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