「football fukuoka」中倉一志

【無料記事】【プレビュー 天皇杯2回戦 福岡-鹿児島】日本最大・最古の天皇杯全日本選手権。日本一の座を目指す戦いが始まる

天皇杯第98回全日本サッカー選手権大会 2回戦
対戦:アビスパ福岡vs鹿児島ユナイテッドFC
日時:2018年6月6日(水)19:00キックオフ
会場:レベルファイブスタジアム

J1、J2所属の全40チームに、アマチュアシード1チームと各都道府県予選を勝ち抜いた47チームが同じ土俵で戦う天皇杯全日本サッカー選手権大会。今年は5月26日に開幕。元旦に行われる決勝戦に向かって各カテゴリーの強豪がしのぎを削り合う。Jリーグ勢が登場するのは2回戦から。アビスパ福岡は6日、レベルファイブスタジアムに鹿児島FCを迎えて元旦の決勝戦に向けてスタートを切る。

日本最大・最古の大会
天皇杯の歴史は、1919年3月に、当時の英国大使館で書記官補を務めていたウィリアム・ヘーグ氏らの尽力により、イングランドサッカー協会(The F.A)からシルバーカップが贈呈されたことに始まる。当時はまだ日本のサッカーを統括する組織はなかったが、「全日本選手権の優勝チームに授与してほしい」との親書を併せて受け取ったことから、1921年9月10日に大日本蹴球協会(現・日本サッカー協会)が設立され、全日本選手権開催に向けての準備が始まった。

ア式蹴球全国優勝競技会の名前で第1回大会が開催されたのは1921年の11月26・27日。場所は東京の日比谷公園グラウンドだった。参加したのは東京蹴球団、山口高校(棄権)、御影蹴球団、名古屋蹴球団の4チーム。栄えある第1回チャンピオンの座には東京蹴球団が輝いた。1951年には優勝チームに天皇杯が授与されることになり、この年から天皇杯全日本選手権と呼ばれるようになった。なお、初めて天皇杯は、慶応大学のOBらで結成されていた慶応BRBが獲得した。

天皇杯の代名詞になっている「元旦の決勝」が行われるようになったのは第47回大会の決勝戦(1969年1月1日)から。その後、第52回大会(1972年度)から地域大会を導入してオープン化に踏み切り、第76回大会(1996年度)では、それまでの全国9地域代表制から全都道府県代表による大会に変更。併せて2種登録チームにまで参加資格を広げた。歴史を重ねながら、イングランドのFAカップの精神に基づき、サッカーに関わる全ての人が関わることができる大会に発展した天皇杯は、文字通り日本で最大・最古の大会と言える。

醍醐味はジャイアントキリング
そもそもサッカーは何が起こるか分からないスポーツ。長い期間をかけて戦うリーグ戦であれば、最終的には実力のあるチームが勝ち残ることになるが、一発勝負で勝敗を決めるトーナメント制の天皇杯ではそうはいかない。失うものがないチームと勝って当たり前とされるチームの対戦ではメンタル面の違いが大きく、また、Jリーグ勢にとってはリーグ戦との関係でハードスケジュールの中での戦いを強いられる。その中で起こるジャイアントキリング。それも天皇杯の魅力のひとつになっている。

アビスパが初戦に迎える鹿児島ユナイテッドFCは、現在J3の首位を走るチーム。闘将・三浦泰年監督が率いるチームは、監督の色が濃く映し出されたチームで勢いがある。ましてや三浦監督は現役時代にアビスパに所属していたばかりか、S級ラスセンス講習では井原正巳監督と同期。人一倍の負けん気の強さを持つ三浦監督が、そういうシチュエーションで燃えないわけはなく、闘志剥き出しでぶつかってくることは間違いない。カテゴリーが下のチームだからと言って侮ることはできない。

もちろん、アビスパも下位のカテゴリーのチームに思うようにさせる気は毛頭ない。コンデイション調整などで難しい面もあるが、当然のように勝つことだけに集中している。いつ、どんな試合でもそうだが、ポイントになるのは、走力、局面の勝負、攻守の切り替え等々サッカーの基本とも言える部分。そうした部分で上回っていることを示す戦いになる。そして順当に勝ち上がれば、次の相手はJ1のコンサドーレ札幌。今度はアビスパにジャイアントキリングのチャンスがやって来る。

勝つことがリーグ戦の成績につながる
Jリーグ勢にとって難しい大会と言われて久しい天皇杯では、最近はJリーグ勢が早い段階で姿を消す試合が多くなっている。だが、リーグ戦とメンバーを入れ替えて戦うことがあっても、そこは同じチーム。天皇杯の成績とリーグ戦の成績は全く別の次元にあるものではない。「勝ち癖をつけるという意味でしっかりと戦い、勝つことがリーグ戦につながる」とは井原監督の言葉だが、天皇杯の戦いは間違いなくリーグ戦に影響する。

そういう意味で思い起こされるのは第90回大会(2010年度)。2回戦で接戦の末に岡山を下したアビスパは、3回戦の広島、4回戦の大宮をともにPK戦で下して準々決勝に進出。準決勝進出まで、あと数10秒というところまで迫った。結果は延長戦で敗れたが、一体となったチームは、この年に5年ぶりのJ1復帰を決めている。逆に言えば、昨年の天皇杯では3回戦で筑波大学にジャイアントキリングを許して敗退。その後、リーグ戦では勝ち切れない試合が続いた。

どんな相手であっても目の前の相手に負けないというのは勝負の世界に生きるものの鉄則。そしてサッカーに関わる者である以上、天皇杯チャンピオンの名は特別な称号。その名を目指すアビスパの戦いが始まる。

[中倉一志=取材・文・写真]
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