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石井紘人のFootball Referee Journal

【連載:Jリーグ紀行番外編】FootBallRefereeJournalスタートから3年 主幹懺悔録

2009年の6月に週刊審判批評をスタートさせ、2011年8月からFootBallRefereeJournalとして有料化した。それから3年が経ったが、反省することが多々ある。

多くの方々にご登録頂いたが、なかには退会される方もいる。退会される方の多くが、運営宛てに厳しく温かい至言を残してくれる。運営側から転送されてきたメールに目を通しながら、3年という月日が経った今、一度襟元を正したいと思う。

最初の一年は、今以上に稚拙だった。

今のように多くの媒体で連載をこなしておらず、書籍も出していなかった。経験が未熟なのに、審判サイトがないということで、多くの読者の皆様にご登録頂けた。

慢心があり、調子に乗っていたと思う。

二年目は、方向性に迷いが生じていた。視点を審判側によせるのか、サポーター側によせるのか。この頃、退会する方から、そのことについて指摘を受けた。

絶対的な中立はない以上、これは永遠の課題になる。

そこで重要なのが、公正さが欠けていないか。立ち位置を見誤っていないか。編集者から「日本サッカー協会審判部の人間ではない。だから書けるし、だから書く必要のないものもある」と指摘を受けた。【家本主審に必要なもの】は、オフサイド気味のコラムだったと反省している。

三年目に入った今、襟元を正そうと思った一番の理由は、プレーヤー側(審判・選手・監督・関係者)との距離が近づいたことだ。

私はあくまでもメディアである。

ただ、メディアという枠をこえた付き合いも、なかにはある。

たとえば、私とAの仲が周知の事実だとする。そして、AとBが知り合い。私がBについてCに取材し、原稿を作る。だが、多くの人は、Aがなにかを喋ったと考える。そうなると、Aは業界で微妙な立ち位置になってしまう。

業界のゴシップに近いもの(を取り上げることは皆無に等しいが)や業界の体制批判は、業界にいるAと私の関係を壊すものになるかもしれない。

もちろん、Aと友人になるためにメディアになった訳ではないため、遠慮することはないが、人としての礼儀を忘れてはいけない。とある監督は、プライヴェートの酒の席で、あるラインになると「これは書くなよ」と前置きしてくれる。逆に、その一言が発せられなければ、私のジャッジで書いてもオッケーな訳だが、それは私とその監督だけのルールである。それを多くのプレーヤーに当てはめてしまっていた。

また、審判員をポピュラーに語り過ぎるのも注意しなければいけない。

「○○選手ではなくて●●選手を使うべき」

「○○監督の戦術は酷いね。●●監督なら、…としたよ」

このようなサポーター同士の会話や、比較するような原稿はスタンダードであるが、この○●に入るのが、審判員の名前になると、文化が根付いていないため、貶めるものにも読める危険性もある。【夏嶋隆の理論】での、私の質問はやり過ぎだった。

3年間、審判界のためという大義名分の元、取材をしてきたつもりだが、それはあくまで私の意見でしかない。突っ走り過ぎた部分もある。もちろん、今後も、批判はすると思う。

ただ、「批判するのも辛い」なんて傲慢にならず、批判されている側の方が辛いというのを認識した上で、オルタナティブある批評をしたいと思う。

論客気取りにならないように、もう一度、初心に戻り、FootBallRefereeJournalの三年目に突入したい。次は、5年目。そして10年目。このような懺悔録にならないように、批評される側にも“多少は”意義を見出して貰えるサイトにしていきたい。

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