育成年代での指導経験と関西リーグでの新たな挑戦 監督・美濃部直彦が語る「飛鳥FCの真実」<2/3>
■柿谷曜一朗の引退に徳島時代の監督として思うこと
──ここで美濃部さんに、指導者としてのキャリアを振り返っていただきたいと思います。その前に直近の話題として、柿谷曜一朗選手が現役引退を発表しました。彼にとって、キャリアの重要なターニングポイントとなったのが、2009年の徳島への移籍であり、当時の監督は美濃部さん。いろいろと感慨深いものがあったのでは?
美濃部 そうですね。僕が関わった選手はけっこう引退していて、指導者になるのもいれば、芸能活動をしているのもいるんですが、曜一朗の引退を知った時は、複雑な気分になりましたよ。ずっとサッカー小僧でいてほしかったし、もう少し現役でやれると思っていましたから。ただ、本人の決断なので、仕方がないですね。
──素行の問題から、セレッソ大阪を離れることになった柿谷に、対話を重ねながら復活の機会を与えたのが美濃部さんだったわけですよね?
美濃部 そういうことをよく言われるんですけど、別に彼を変えてやろうという考えはなかったです。ただ徳島の練習初日、曜一朗にはこう言いました。「いい加減な気持ちで、腰掛け程度でここに来たんだったら、今すぐ帰ってくれ。お前自身が変わる気持ちがあるんだったら、伝えるべきことをしっかり伝えるから」ってね。
──「伝えるべきこと」というのは?
美濃部 当たり前なことばかりですよ。切り替えの早さとか、サイドハーフもディフェンスしないといけないとか。それでも、彼自身が「変わらなければ」という気持ちはあったんでしょうね。もともと実力はあったわけで、チームの一員として、プロ選手として、やらなければならないことをするようになった。そして、チームで目指しているものに対して、本気で取り組むようになった。それだけの話だと思います。
──当時はプロ4年目でしたが、まだ19歳だったんですよね。思えば美濃部さんも、現役引退後は京都サンガで長く育成年代の指導をされていました。その時の経験が、のちのキャリアにいい影響を与えたのではないでしょうか?
美濃部 それは間違いないです。高校生年代の指導者を6年くらいやって、その間にJユースカップとか高円宮杯 JFA U-18サッカーリーグ、それから日本クラブユースサッカー選手権大会でも好成績を収めることができました。この年代は技術も戦術理解もあるんだけど、プロとの一番の違いは何かといえば、やっぱりメンタルの部分に行き着くんですよね。
その足りてない部分を、どう付け加えていくか。どうアプローチしたら、自分から変わっていくのか。そういった課題について、自分なりに試行錯誤してきた経験というのは、トップチームの監督になった時、けっこう役立ったと思っています。戦術や技術については、どの指導者も勉強していますが、チームメンタリティや個人へのアプローチは人それぞれですから。
──美濃部さんの場合、ご自身でどういうタイプの指導者だと思います?
美濃部 僕の場合は根が関西人ですから、冗談めかすところと厳しくするところのメリハリをつけるタイプですね。それに上手くハマった選手は、勢いよく伸びていってくれました。飛鳥FCも若い選手が多いので、育成年代の指導経験が生かされていたと思います。
──その一方で、育成年代の子供たちを取り巻く状況が、どんどん変化しているじゃないですか。スマホやYouTubeがなかった時代のやり方が、今の時代に通用するわけでもないので、その都度アップデートする必要もあると思うのですが。
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