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宇都宮徹壱ウェブマガジン

もしも「サッカー」じゃない人生があったなら 最終回:1994年の海外サッカー

■毎年の大掃除で悩ましい「雑誌どうする問題」

 2024年も残すところ、あと2週間となった。今から30年前、サッカーに関わる仕事を始めた1994年について、さまざまな切り口から振り返る当連載も、これが最終回。今回のイントロは取材現場ではなく、自宅の書斎からスタートすることとしたい。

 年末といえば大掃除。積もり積もったホコリを祓い清め、窓ガラスをピカピカに磨くのは、ある意味「えいや!」でできてしまうことである。悩ましいのが、書棚の整理。スペースには限りがあるので、新しい書籍を購入すれば、いらなくなった書籍は処分する必要がある。チーム編成と同じだ。

 とはいえ、書棚の新陳代謝というものは、チーム編成と絶対的に異なるところがある。チーム編成の場合、明らかに試合に出ない選手を残すことは、基本的にない。しかし書棚の場合、頻繁に手に取ることはないけれど、ずっととっておきたい(つまり、捨てられない)ものがある。

 その最たるものが、海外のサッカー雑誌。ネットメディアが主流となり、スマートフォンで最新のニュースや動画を無料で摂取できる現代において、雑誌を含む紙媒体が衰退の一途を辿っているのは周知のとおり。しかし、だからこそ、残しておきたいという思いが募る。

 日本の雑誌は、国会図書館に行けば閲覧は可能だ。問題は、海外の専門誌。1998年から2006年にかけて、私は「WORLD SOCCER」という英国の月刊誌を購読してきた。情報は古いし、ページもくたくた。それでも毎年この時期、何度も処分を検討しながらも見送り続けてきた。

■Jリーグバブルの終焉とダイヤモンドサッカーとの別れ

 私がエンジンネットワークという、映像制作会社に転職したのが1994年の5月のこと。すぐにテレビ東京の「ダイヤモンドサッカー」の担当ADに配属されたことは、すでに述べている。しかし、この仕事は1年とは持たなかった。なぜなら翌年の3月26日、番組が終了してしまったからだ。

「1994年の終わりぐらいから、Jリーグ中継の視聴率が悪くなったんですよ。ゴールデンで生(中継)は、どうなんだと。それでもテレ東としては、スポンサーが付けば『やりましょう』という感じではあったんです。そのスポンサーも、お金が続かなくなったんですよね」

 当時の番組プロデューサーに、話を聞く機会があった。彼によれば、ダイヤモンドサッカーは1994年の秋には、全国放送からの撤退が決まっていたという。私が番組ADの任を解かれて以降は、予算規模を縮小して関東ローカルで命脈を保ったものの、1996年9月に完全に終了してしまった。

 1993年から始まったJリーグバブルは、このあと急速に萎んでいったが、依然としてサッカーは人気コンテンツであり続けた。具体的には、日本代表と海外サッカー。こうした状況を受けて、私はNHKの「BSワールドサッカー」の担当に回されることとなった。

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