【無料公開】レジェンドたちが振り返るJリーグ黎明期 相良純真(URAWA BOYS創設者)✕ロック総統<1/4>
■「サポーター文化を根付かせよう」という共通の想い
──その頃、総統は鹿島のゴール裏に出入りするようになっていたわけですけど、Jリーグの黎明期ってリーダー同士がわりと仲がいいというか、交流があったようですね。
総統 河津くん(亨=鹿島のIN.FIGHT初代リーダー)と吉沢さんは仲が良かったですよね。試合ではもちろんガチだったけど、試合前とかは普通に会っていましたよ。
相良 あと、代表のウルトラスでのつながりもありましたからね。ウルトラスでCDのレコーディングをするときとか(植田)朝日を中心にみんなで集まっていましたし。
総統 グループの若い者同士が揉めそうになったら、リーダー同士が事前に電話とかで話し合いもしていましたね。
相良 当時、みんなで言っていたのが「最初の10チームがちゃんとすることで、サポーター文化を根付かせよう」と。そうすればJリーグは絶対に潰れないという話は、吉沢や朝日がよく言っていました。
総統 そう、一種の互助会みたいなところがありましたよね。
相良 もちろん試合はバチバチやらないと面白くない。ただし勝敗を超えたところで、サポーター同士で交流を楽しむような空気はまだありましたね。そうしたほうが、絶対にファンが増えると思っていましたし。そういえばレッズ戦のチケットが買えなかった僕の仲間は、マリノスとかジェフ(市原)とか、他のチームの試合もハシゴして観たりしていましたね。
総統 Jリーグが開幕した当初は、さすがに鹿島のチケットを毎試合ゲットできる状況でもなかったから「今日は国立でジェフの試合でも見るか」みたいな感じでしたよね。ジェフのホームゲームでも、国立のスタンドがいっぱいになっていましたから。
相良 まさにバブルでしたよね。「ゴール裏のチケット、1万円で買います」なんてプラカードを持っている人もいましたし(笑)。
総統 ダフ屋さんといかに仲良くなるかが重要でしたよね(笑)。
──話を戻しますが、ここまでお話を伺っていて興味深かったのが、オリジナル10のサポーターの間では「自分たちが日本のサポーター文化を作るんだ」という、クラブ間を超えた共通認識があったということです。今の若いサポーターには、ちょっと信じられない話でしょうけど。
総統 信じられない話ということで言うと、少し時代が下って2002年のワールドカップ招致活動で、FIFAの偉い人たちが視察に来たときがあったじゃないですか。
──はいはい、1995年の秋にFIFAのインスペクショングループが来日しましたね。
総統 あの時、FIFAが視察したのが国立での鹿島対セレッソというカードだったんですけど、あの当時は両方ともいい順位じゃなくて、あまり客が来ないんじゃないかって言われていたんですよね。関係者もけっこう気をもんでいたみたいで。
──でも実際には、ほぼ満員でしたよね(編集部註:公式入場者数は4万7653人)。
総統 僕もあの試合は国立にいましたけど、普通にマリノスのサポとかがセレッソ側で応援していましたよ(笑)。あれは完全に底上げのための自作自演の演出。でもFIFAの人たちは「首位争いでもないのに、こんなに盛り上がっているJリーグは素晴らしい」って思って帰ったらしいですね。作戦成功ですな。
──それもまた、黎明期ならではのエピソードですよね。
相良 たまにこういう昔話をすると、若い子たちは少し悲しい表情になりますね(苦笑)。
総統 若者にバブルの時代の就活の話をするのと一緒ですよ。
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