宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料公開】レジェンドたちが振り返るJリーグ黎明期 相良純真(URAWA BOYS創設者)✕ロック総統<1/4>

 今週は「お盆休み企画」として、WMアーカイブから20177月に掲載した、相良純真さんとロック総統による異色対談を4日間にわたって無料公開する(金曜コラムはお休み)。

 相楽さんは旧浦和市で生まれ育ち、1992年に吉沢康一氏と「クレイジー・コールズ(CC)」を結成。CC解散後の1997年に「URAWA BOYS」を結成するも、2003年にゴール裏から引退している。その前年の2002年より、浦和駅西口でファン・ショップの「URAWA POINT」をオープン。会社経営の傍ら、浦和の歴史を語り継ぐイベントに多数出演している。

 対するロック総統は、JFLのミネベアミツミFCをホンダロックSC時代からサポート。日本サッカーの各カテゴリーが、等しく発展していく理想をもとに結成された「錦糸町フットボール義勇軍(KFG)での活動が広く知られている。その一方で、Jリーグ黎明期の鹿島アントラーズのゴール裏に出没していたことについては、もはやオールドファンしか知らないトリビアなのかもしれない。

 この対談のきっかけとなったのが、2017年7月5日の試合後、浦和サポーターが選手バスをサポーターが取り囲んだ「事件」(参照)。この年の浦和といえば、2度目のACL優勝を果たした一方で、J1では苦しい戦いが続いてシーズンを7位で終えている。

 果たして、バスを取り囲めばチームは強くなるのか? これが、対談の当初のお題。しかし、Jリーグ黎明期を知る両者の語らいは、単なる昔話にとどまらず、SNS時代のゴール裏のあり方にまで及んだ。あれから7年が経過した今、あらためて読んでみても古びるどころか、むしろ現代に向けた問題提起のようにも感じられる。

 ゴール裏の顔ぶれが完全に入れ替るのは、10年から長くても15年くらいであろう。かつては待機列にて、古株から若手へ歴史の口頭伝承がなされていたようだが、老いも若きもスマホ画面を凝視するようになった今では望むべくもない。試合前の待ち時間、ゴール裏のレジェンドたちの対談をお楽しみいただければ幸いである。(取材日:2017719日@さいたま市)

実は天皇杯で対戦していた浦和とホンダロック

──今日はよろしくお願いします。浦和レッズとホンダロックSCという、ほとんど接点がなさそうなクラブを応援しているおふたりですが、実は過去に天皇杯で対戦しているんですね。この試合、現地でご覧になっていました?

総統 もちろん見ています。0-9でホンダロックSCが負けた試合ですね。

相良 先日(717日)、引退試合をした鈴木啓太のプロ初ゴールが、確かこの試合でしたね。

総統 そう! それで浦和のFWが盛田剛平だったんですよ。で、盛田のヘディングシュートをウチのGKの綾(哲一)っていうのがキレキレのセーブで防いで、それで盛田の尻を「ちゃんと決めろ!」みたいにパンってはたいたんですね。実はふたりはユニバーシアード代表でチームメイトだったんです。

──そういう何気ないシーンに着目するのが、いかにも総統らしいですね(笑)。

総統 その綾っていうのが、鵬翔高校から鹿屋体育大を出て、本当だったら余裕でJクラブに行っている逸材のはずなのが、なぜかサッカーを辞めて宮崎市役所に職員として普通に就職したんです。でも、当時のウチの正GKより上手かったから、試合のときだけタダで借りてきて、練習もしていないのに現役時代に鍛えたおつりだけでいいプレーを見せるんですよ。

 それで、天皇杯の浦和戦も神セーブを連発して、それで盛田のシュートも結構防いだんです。けれども、結果は0-9。盛田も4得点したんですが、綾じゃなかったらたぶん30点ぐらいは決められていたでしょうね(苦笑)。神セーブ連発なのに0-9で負けるって楽しくないですか?

──確かに(苦笑)。会場は駒場だったんですか?

総統 そうです。それで思い出したんですけど、アウェイの応援って基本的に「出島」じゃないですか。でも、ウチら実業団だからそういう礼儀を知らずに、2階のスタンド席で応援していたんですね。そしたら下のスタンドに浦和サポがいるという空前絶後の大変珍しい状況で(笑)。

相良 そうだ、こっちが見下されていましたよね。天皇杯だから仕切りがクラブではなく、埼玉県サッカー協会だったというのもあったと思います。

総統 ブロック指定でまとめたほうが仕切りやすかったんでしょうね。当時、ホンダロック社は埼玉に工場があって、工場を止めてみんな応援に来ていたんですよ。あまりにも人数が多くて、僕もびっくりしました。

──何年の天皇杯だったか覚えています?

相良 啓太がいて、盛田が移籍する前だから2000年ですよね。

総統 僕が1999年からホンダロックSCの応援を始めて、次の年の天皇杯だから2000年で間違いないです。そういえば、アヤックスから戻ってきたばかりの岡野(雅行)も後半から出てきて「やべえなあ、絶対に振り切られるぞ」って思ったんです。確かにすごいスピードで振り切られるんだけど、そのあとのシュートがまったく得点の匂いがしなかった(笑)。

相良 岡野がすごかったのは、オランダから帰ってきて3試合目まで。そこまでの彼は、マイナスから切り替えして永井(雄一郎)のアシストをしたりして「オランダですごく成長したんだなあ」って感心していたんですよ。ところが3試合目をすぎたあたりから、普通の岡野に戻ってしまって。「お前、馴染むのが早すぎるだろう!」って思いましたね(笑)。

次のページ

1 2 3
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ