【サッカー人気4位】【浦和を語ろう・激論編】浮上してきた浦和と上位戦線(6)C…

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【無料公開】レジェンドたちが振り返るJリーグ黎明期 相良純真(URAWA BOYS創設者)✕ロック総統<1/4>

Jリーグ開幕前夜のゴール裏の風景

──相良さんがURAWA BOYSを設立したのは1997年ですが、浦和レッズの応援を始めたのはいつからですか?

相良 1992年ですね。吉沢(康一)とクレイジー・コールズを作ったのが最初です。ただ僕の場合、もともとプレーヤーだったこともあって、それまではサッカー観戦そのものにはあまり興味が持てなかったんです。

──1992年というとJリーグ開幕の前年で、ナビスコカップをやっていた頃ですよね。

相良 そうです。当時いた会社の社長が、イタリアでのワールドカップでサッカーにはまっちゃった人で、「Jリーグが始まるから観に行こうよ」って誘われたのが、国立でやっていたヴェルディ川崎対鹿島アントラーズ。ジーコのプレーを目の前で見て、「地元にもレッズがあるんだから、これは観ておかないといけない」と思って最初に観に行ったのが、大宮サッカー場での鹿島との試合でした。

──相良さんは、どちら側でご覧になったんですか?

相良 その時は、たまたまメインスタンドのチケットだったんです。そうしたらゴール裏で小中学生に挟まれながら、ひとりで一生懸命応援しているおっさんがいたんですね。それで試合に勝ったら、そのおっさんがピッチに飛び込んで、ツチさん(土田尚史)と抱き合って喜んでいたんですよ。それが吉沢(笑)。

総統 そんな時代があったんですね……

──今では信じられない話ですが、Jリーグ開幕前夜って、ファンがピッチに飛び込む文化というものが、まだ辛うじて残っていたみたいですね。吉沢さんとの接点は、その時に生まれたんでしょうか?

相良 いえ、その次の川越での(横浜)マリノス戦でしたね。川越の競技場がこけら落としで、どうしても人を集めなければならないということでタダ券をばらまいたので、当日券がなかったんですよ。どうしたものかと思っていたら、突然缶ビールを投げつけてくるやつがいて、こんな感じでパシッと受け止めたんです。「危ねえな!」って言ったら、そこに吉沢がいたんですよ。「レッズでしょ? 一緒に応援しようよ」って。

総統 なんだか漫画みたいな展開ですねえ(笑)。

──吉沢さんの第一印象はどうでしたか?

相良 イカれたヤツでしたね(笑)。だから相手にしないようにしていたんだけど、一緒にいた連れが「面白そうじゃない」って言って、それで応援に合流することになったんです。スタンドの一番前のところで10人くらいでしたかね。そうしたら周りから「見えねえ、座れよ!」とか「立つんじゃねえよ!」とか散々な言われ方をされながら応援していたんです。すると今度は、メインスタンドで太鼓を叩いていた人も合流してきて。

──それが後のクレイジー・コールズの原型になっていったと。

相良 そうです。結成されたのはナビスコカップが終わってからですね。「クレイジー・コールズ」という名前を考えたのも吉沢でした。

──ということは、1993年のJリーグ開幕の頃には、すでに浦和には組織的なサポーターのグループがあったということですね?

相良 まだ組織という感じではなかったですね。というのも、(クラブ主導の)ただのサポーターズクラブでしたから。開幕当時、僕らのように応援しているグループがあと2つあって、主導権争いみたいなものはその頃からありました。ただ、応援のコールとかチャントとかを考えていたのって、ほぼクレイジー・コールズだったんです。それに太鼓を叩いていれば、みんなそっちになびいてくる感じでもあったので、基本的にはウチがイニシアチブを取っていました。

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