J1第9節全試合振り返りLIVE(J論)【4/7(月)22時】

宇都宮徹壱ウェブマガジン

ドラガン・ストイコビッチに人生を変えられた男の物語 小柳津千早(セルビア語通訳・コーディネーター)<3/3>

東京五輪で来日したジョコビッチのリクエストとは?

──その後、小柳津さんは2008年に帰国してスポーツナビでの勤務を経て、11年から在日本セルビア大使館で働くことになります。この前の年、ピクシーは監督として名古屋を優勝させていますが、日本での接点はあったんでしょうか?

小柳津 グランパスとは、この頃にはわりとやりとりがあったんです。ピクシー以外にも、セルビア国籍を持つコーチのボシュコ・ジュロヴスキーやモンテネグロ出身の選手でイゴル・ブルザノビッチとかいたじゃないですか。彼らのビザや運転免許の件で、いろいろ問い合わせがあって、唯一の日本人スタッフである僕が対応していたんです。そんなある日、大使館に電話がかかってきて、僕が取ったんですよ。そしたら電話口で「ドラガン・ストイコビッチだけど」って……

──まさかの本人(笑)!

小柳津 そうなんです(笑)。でも、まさか本人がかけてくるとは思わないじゃないですか。「すみません、もう一度お名前よろしいですか」って言ったら、「名古屋グランパスで監督をやっているストイコビッチだけど、大使とつないでくれる?」って。すぐにつなぎましたけど、もう少しお話したかったですね。

──セルビア大使館には、いつまで勤務していたんですか?

小柳津 2021年の10月まで、ちょうど10年ですね。東京五輪が予定どおり2020年に開催されていたら、その前の年にはセルビアに移住していたんですが。

──そうか、五輪での選手や関係者の受け入れも、大使館としては重要な役割ですからね。大変でしたか?

小柳津 お察しのとおり、大変でした(苦笑)。そもそも大使館のスタッフって、僕を入れて7人しかいなくて、僕は唯一の日本人。セルビア側と日本側をつなぐ役割は、基本的に僕に集中していたんですよ。しかもコロナ禍での開催でしたから、陽性反応者や濃厚接触者の隔離の対応に追われましたね。「早くトレーニングを再開したい」とか「食事が口に合わない」とか、ひとつひとつに対応しながら、大会組織委員会や厚生労働省との連絡も欠かせませんでした。

──本当に大変でしたね。セルビアの世界的なアスリートといえば、男子テニスのノバク・ジョコビッチも来日していますが、会えました?

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