J3番記者座談会LIVE(J論)【4/17(木)21時】

中野吉之伴フッスバルラボ

【グラスルーツ】ドイツサッカー研修アテンドから考える、僕がこれからやるべきこと

▼ 海外への道をサポートする?

「3年間ホケツだった僕がドイツでサッカー指導者になった話」は、僕の実話がもとになっている。

文字通り高校からサッカーを始めた僕は、3年間ほぼ公式戦に出ることができなかったけど、大学時代にグラスルーツの指導者をすることになり、その道を究めたくなってドイツへ飛ぶことに。

紆余曲折、悪戦苦闘しながら、少しずつ居場所を作り出し、最終的にはドイツサッカー協会公認A級ライセンスを獲得することができたけど、僕が見たかった光景は、サッカーが大好きな子どもたちがサッカーをする中で気持ちをどんどん解放して、チームとともに選手としても、人としても成長していく姿。

育成指導者として25年ちかく現場に立ってきて、幸運にも毎年のようにそうした光景の中に自分がいられることを心から幸せに思っている。うまくいかないことがあったり、ネガティブなことが続く時だってある。つらい思いを抱くことだってある。でもそれも含めてサッカー《と》生きる人生だ。

どんな物語にも最初に何らかのきっかけがある。僕にとっては高校時代にドイツに行くことができたのがその一つ。

思春期特有でもある権威への疑問が膨れ上がって一度落ち着いて、また膨らんできていた時期に、ドイツというこれまでの自分の習慣からも、常識からも遠く離れたところへ行けたことで、自分自身を見つめ直すことができたし、自分の視野を広げて、自分の可能性をためせる場所が日本以外にもあることに触れれたのは大きい。

でもこれは僕の物語であって、誰にでもある物語ではない。

これまで僕は指導者研修のアテンドをすることはあっても、選手や指導者の留学斡旋や小、中、高の子どもたち対象のドイツサッカー短期留学などは一切手を出してこなかった。

ドイツでもどこでも、若いころに海外へ出ることが必ずしも新しい扉を開くことになるかというと、それもまた人それぞれ。「楽しかった」「いい人に出会えた」「知らないことを知れた」だけでポジティブな経験となるのはわかる。

でもそれなら僕じゃなくてもいい。

▼ 留学斡旋は必要?

留学業務や代理人業務をプロとしてやっている人がいる。プログラムとしてちゃんと準備されているものがあるなら、それを利用して、海外経験を積むというのは悪くない。

そのあとで日本を出て海外でやっていくには自分から動く行動力と、自分で意思決定を積み重ねていくプロセスが欠かせない。日本でももちろんそうだけど、海外に出る時にはよりクオリティの伴ったパーソナリティが求められるのは間違いない。

僕自身、大学卒業後に単独ドイツに渡り、知り合い誰もいない中で動いて、動いて、動いて道を切り開いてきた。やれるだけのことは自分で苦労を重ねて取り組むことが大事だと思っているし、大抵のことはそれでなんとかなる。

ずっとそんな風に思っていたけど、3月にU15ドイツサッカー研修ツアーという企画にチーフコーディネーターという立場で関わったのには、僕ならではの関わり方ができたら、お互いにウィンウィンになる可能性があるかもしれないと思ったからだった。

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