【きちルポ】中田浩二や柿谷曜一朗がプレーしていたスイスの強豪バーゼルが降格危機?!かつてのCL常連クラブに何が起こった?①
▼ バーゼル失墜の裏側
盛者必衰とはよくいったものだ。スイスナンバークラブだったはずのバーゼルが残留争いに苦しんでいる。17節終了時で下から2番目の11位。すでに10敗も喫している。
かつてはCLの常連で、2002年から2017年まで手にしたタイトルは12度のスイスリーグ優勝と、7度のスイスカップ優勝。スター選手は数知れず。自他共に認めるスイスの王者として君臨していたのに。
そんなバーゼルがなぜここまで失墜してしまったのだろう。
前回とりあげたオランダのアヤックスもそうだが、どれだけ伝統があろうとも、どれだけの名声があろうとも、大事な人事で大きなミスをして、それを修正し、取り返すことができないままにしてしまうと、どんなクラブでも簡単に壊れてしまうのだ。
おごれるものは久しからず。
クラブはだれのものにあるのか、どうあるべきなのかを考えるうえでも、バーゼル失墜の裏側をここで丁寧にまとめておこうと思う。
あなたの愛するクラブが同じような過ちを犯さないとは限らない。知っておいて損はない。
▼ トップクラブの基盤を作った2000年代初頭
そもそもバーゼルは最初からスイスのトップクラブだったわけではない。通算スイスリーグ優勝回数は20回を数えるが、うち12回は2000年以降。79-80シーズンに8度目の優勝を果たしてから実に20年以上タイトルとは無縁だった。
それどころか1992年、それもクラブ創設100周年という記念すべき年に2部リーグへと降格してしまったこともある。
そんなバーゼルがスイストップへ立つという物語の始まりは1999年。ジジ・オエリという女性オーナーの登場があった。スイスきっての大富豪家族に生まれたオエリはクラブに金銭的なサポートとプロフェッショナルな構造をクラブにもたらすことに尽力した。
それまでわずか190万ユーロだった年間の人件費が、10倍の1900万ユーロへ。資金力をバックにスイスリーグのトップFWやスイス代表選手を獲得し、リーグ内でトップランカーへと変貌を遂げていくことになる。
お金にものを言わせて手あたり次第獲得したわけではない。信頼を寄せる監督とともに継続性を持ってチーム強化にいそしんだことがその後の大成功へと結びついた。監督のクリスティアン・グロスは10年間、バーゼルで監督として指揮を取ることになるが、その背景にはオエリのサポートのおかげで自分の哲学にあったチーム構成をすることができたのが大きい。
オエリはオーナーであり、何よりバーゼルのサポーターだった。2002年、リーグとカップとの2冠を果たすと、オエリは水着と水中眼鏡を装着して選手と一緒にシャンパンシャワーで喜び合った。
選手補強にばかりお金を費やし続けるのはスポーツビジネスプランとして賢い選択ではないのは、世界のサッカー界が示している。そこでオエリはユース育成強化へと乗り出すことになる。 スタジアム裏の広大なスポーツ施設の端に自前の育成アカデミーを設立。
オエリは2011年にクラブを去ることになるが、スイスだけではなく、ヨーロッパで注目を集めるトップクラブとしての礎を確かに築き上げた人物として、いまもバーゼルサポーターから尊敬の念を抱かれている。
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