石井紘人のFootball Referee Journal

【無料:家本政明主審引退会見②】フットボールはミスが起き、それを如何にぬぐうかも考える愛すべきグレーのあるスポーツ。〇か×かの白黒に偏り過ぎず、テクノロジー化は進める

引退試合となった横浜Fマリノス×川崎フロンターレ戦の翌々日、家本政明主審がオンラインにて引退会見を行った。

家本主審らしく、会見は質疑応答からスタートした。家本主審らしい表現を感じて欲しいので、一部意訳もあるが、全5回に分けてそのまま掲載したい。

無料:家本政明主審引退会見①触れ合った選手は皆凄かったが、別格はイニエスタ。小野伸二、中村俊輔、遠藤保仁、中村憲剛、家長昭博「我がレフェリー人生に悔いなし」試合前後の選手との会話は?

―家本さんは競技規則の精神をレフェリングに活かされているように思うのですが、良いレフェリーになるために必要なこと。後進にはどのように情報整理するようにアドバイスされますか?

 

VARとしては、さっき言ったようにプロトコルが決まっています。大きな石を除くのがVARの役割で、小さい・中くらいの石をどかしたり、探しに行くのではないのが大原則になります。

では、精神がなぜそうなっているかというと、基本的に現場判断が全てとされています。それでも(レフェリーも人間なので)決定的に見えないものがある。それがどれくらいの大きさのゲームインパクトネガティブインパクトなのか?そこを考えるのが大事だと思っています。

この間の主審を務めた試合でも、シュートを打った時にボールが(意図的でも不自然でもない)手に少し当たったんですね。(ボールアウトして)それはコーナーキックになるんですけど、目の前で見ていた現場のピッチ上の選手はアピールもしない。僕も何もリアクションしていません。

現場の選手たちは早くコーナーキックしたいという解答です。お客さんもそうでした。

でもVARは見(てチェックし)たいので、「ディレイディレイ」とインカムに入ってきたから、僕は「現場なにも混乱していないから、このままやりたいんだけど」とコメントしているんですよね。(しかしVARは)「いやーでも」と。

(現場では何も起きていないから)選手も「何なんですか?」と(ストレスを感じていたので)「ごめん。僕のお友達がちょっと待ってって言っているから、ちょっと待ってね」と。

それって何を見ているか、何を感じるかってすごく大事だと思っています。

役割を表面上の(競技規則)1条から17条に引っ張られてしまうと、色んなものが見えなくなってしまって、間違い探し、正解探しみたいになってしまう。

でも、サッカーというスポーツって僕が思っているのは「凄くアバウトで、ミスがベースにある」っていう。その中で「起きたミスをどう利用するのか、起きたミスをぬぐっていくのか」という人間愛が溢れるスポーツの一つだと思っているんですよね。

(そんなミスのあるフットボールのグレーをなくして)あんまり白黒とかに寄りすぎると、フットボールの邪魔をしてしまう。それは一番我々が求められてないことですし、やってはいけないことだと思っているので、そういう所はVAR時に考えていました。

同じように主審をするときにどうなのですか?を考えると、競技の書かれた精神ですとか、フットボールって誰のもの?で、レフリーって何のために存在しているのか?どういう経緯で我々は「Refer(訳して)お願い」されて、やっているのか。

現代サッカーはどういう風になっているのか?ビジネス化が加速しているのはあるにせよ、誰に求められ、何を要求されているかという事を考えると、競技規則の1条から17条が主役になってはいけない。

あくまでも人が楽しむものであり、一体感を感じる、ドラマを感じる。そこに、より多くの人が、夢を見たりですとか、寄ってきたり、仲間に入れてよとなったりもする訳です。

そういう所がフットボールの根源であると僕は信じているので、その中でも「これだけは許せないよね」という一応ざっくりした枠が(1条から17条には)あるじゃないですか。例えば手を意図的に使ってはダメだと。それをやるとラグビーに野球になっちゃうとかあるじゃないですか。

だからフットボールっていう競技の大枠は越えない限りで、皆が起きてしまうミスを許容しながら、ミスさえも楽しみながら、場を整備して環境を整えながらゲームを進めていくことが我々レフェリーに求められる役割だと思っています。

もちろんレフェリーがいくらゲームを良くしようと思っても、選手たちが(倒れずに)戦ってくれなかったり、(フットボールを)プレーしてくれないと、(お話したようなフットボールの良さは)作り出せないんですけど、そうであるのであれば我々(レフェリー)も整理する、見ているだけの話ですし、間違った方向に行くんだったら肩をたたいて、「違うよ」と(注意する)。

我々(レフェリー)が目指す世界、それは多くの人々の喜びだったり悲しみだったり、そういう世界観を選手と一緒に作る立場なのかなという風に思っているので、あまりその競技規則の細かい所とか、正解不正解間違い探しとか、もう一つしいて言うならば、我々毎試合評価されるんですよね。

その評価シートというものがあって、そこに色々なチェック項目があるのですが、そこに引っ張られてしまうとフットボールの本当の面白さが薄れていく。

一時期僕も『評価の奴隷』だったし、(それと連動して)『競技規則の表面的な奴隷』だったなって自分で深く反省しているんですけど、僕が欲しいのはやっぱりこの間の試合もそうですけど、選手の信頼であり、選手との関係性であり、それを見ている多くのファン・サポーターの方、チーム・クラブ関係者、あるいはそれを伝えてくれるメディアの皆さんたちとフットボールの魅力に寄り添いたい。フットボールの魅力を共有したいし、創造したいのが僕の一番コア中のコアになっている。

レフェリーをされる方は、例えば、それが町のサッカーであれ、お父さんお母さんのサッカーであれ、こういうプロであれ。

ただ海外、国際ゲームとかワールドカップとかは、求められるモノと求めるモノが違うから違うと思います。ですが、大事なコアな精神は、先ほど言ったようにフットボールがどうありたいのか?そのためのレフェリーは何をしなければならないのか?を考えた時に、「喜び」「楽しみ」「一体感」「信頼関係」「安心」とかが外せないキーワードなのかなって思っています。」

 

―世界の潮流やビジネス化に進んでいるというお話もありましたが、VARが新たに登場したり、半自動テクノロジーなども検討されています。ボールさえあればプレーできるという原始的だったスポーツが、どんどんテクノロジー化されていっていることを、どのように感じられていますか?

 

「世の中がテクノロジー化しているということは誰もが知っている事実だと思います。それは根底にあるので、テクノロジー化×フットボール、もしくはテクノロジー化×スポーツはあって当然なのかなと。

大本の人間らしさって言うのがフットボールの良さでもあり、根源であると僕は思っているんですけど、そこに半人間らしさの共存だと思うですよね。あるいは、どうしても商業化・ビジネス化しているところがあって、多くのお金や人ですとか、色々な人の人生っていうのがどうしてもこう絡まってきてしまって、今更それを取り除くことはできないとするならば、やっぱりある程度のテクノロジー、人間では判断できない所がある。では、補完的にテクノロジーを取り入れていこうっていうのは、僕はもともとポジティブに捉えていました。

ただ、やっぱり実際に難しいのが、「白黒にする必要はない」と「競技の精神」でうたってながらも、白黒を追求するのがテクノロジー。ここの矛盾と言いますか、ミスマッチにいま多くの人が苦労されている。それをレフェリーとして運用する側にいるんですけど、その我々が苦労や混乱している訳ですから、相手(選手やメディア)側も混乱しますよね()

だけど近い将来、馴染んでいくと僕は信じていますし、もっと良いテクノロジーの融合、フットボールバージョンっていうんですかね?良い意味でフットボールはどんどん進化していくと思いますし、そうあるべきだと思っています。

副審はセンサーが行って主審だけは真ん中にいる。そういうのもあるかもしれないですよね。要は11人対11人っていうのが変わらなければ、フットボールのクオリティはもっと上がるのかなと僕は思っているので、そうやってどんどん進化していけばいいなと思っています。

そこに人間が上手く融合していけば、もっともっと楽しくなりますし、面白さも変わってくるのかなと思っているので、そういう世界が実現できたらと思っています。」

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